人類の隠されたカテゴリ分類

木賃ふくよし(芸名)



 知人から教えてもらったのだが、生物には隠蔽種と呼ばれるものがあるらしい。隠蔽種群と言う方が正しいだろうか。
 何かと言うと、遺伝子的に見て同じ種であるにもかかわらず、決して交配することのないグループの存在である。

 隠蔽とは、「ある物を他の物で覆い隠すこと。物事を隠すこと」なので、この隠蔽種群という呼び方があるべき姿なのかどうかは不明だが、つまり、外見上での区別は出来ない上、遺伝的に見て交配可能なのに交わる事がない。まさに隠れた種族分けである。コンピュータで言うといわゆる内部設定と言うトコロだろうか。
 大雑把ではあるが、生物は分類すると、「界」「門」「網」「目」「科」「属」「種」の7段階。それに亜種なるものも加えられる。
 例えば、ヨーロッパオオカミは動物界-脊椎動物門-羊膜亜門(四足動物亜門)-哺乳網-獣亜綱-食肉目-イヌ科-イヌ属-タイリクオオカミ種-XX亜種になる模様。
 ここで重要なのは、「種」のカテゴリ。異論もあろうが、「野生で交配可能な類似した個体のグループ」が「種」の定義となる。
 つまり、イヌ科イヌ属まで同じであっても、イヌとオオカミは交配する事はないのだ。人工的に交配させる事は可能であっても、基本的に彼らの血は交わらないのである。

 コレを人間に当て嵌めてみると面白い。
 アジア人もヨーロッパ人も、黒人も白人も黄色人種も、全て同じヒトに過ぎない。つまり、ヒトは遺伝子的に全人類同じだと見なされているのである。人間にとっては、肌の色、骨格やら体格がどれほど違おうと、チワワとシェパードほどの違いはなく、全人類が交配し、繁殖する事が可能なのだ。
 遺伝子・種族のレベルで捉えると、人が自分との違いをあげつらって争うことが如何に無意味であるかがわかる。

 では、話を隠蔽種に戻そう。
 前述のように、隠蔽種とは、外見や遺伝子的に交配可能であるにもかかわらず、交配することのないグループ。
 例えば、とあるコオロギの場合、隠蔽種A群とB群で鳴き方が違うらしい。
 虫にとっての鳴き声はディスプレー(求愛活動)である。つまり、A群の鳴き方で引き寄せられるメスと、B群の鳴き方で引き寄せられるメスが違う。すなわち、A群の子孫はやはりA群に。B群の子孫はやはりB群と言う事になる。遺伝子的にはAとBに違いはなく、交配可能。だが、彼らは交わらない。

 この隠蔽種別交配が長い期間続けば、種が別れていくのではないだろうか、という事なのである。この隠蔽種を、人間に当て嵌めてみよう。この謎を解き明かせば、結婚できないと思っていた男女が出会うことも可能なはず。是非ともこの謎を解かねばなりません。
 同じ人でありながら絶対に交わる事のないグループ・・・。
 通常で考えれば、いわゆる国家や民族、肌の色というカテゴリであろう。だが、現実はどうだろう。国、肌の色や民族の違いという壁はあっても、人間は交配するのだ。つまり、国や民族や肌なんてのは隠蔽種足りえない程度の壁という事になる。では、言ってイイのかどうかわからないが、だとすれば美醜であろうか。

 美女とブサイク、イケメンとブス。いや、違う。そんな事はない。
 むしろ街にいるカップルを見ると、美女とブサイク、イケメンとブスな組み合わせは山ほど見掛ける。いや、むしろ美男美女の組み合わせの方が少ない気がする。
 いやいや、ブスとブサイクは圧倒的に多いかも知れないが。
 いやいやいや、それは単に美女と美男の率が元から低いだけって事に繋がる。
 まあ、心理学的に恋愛は「自分と似たパートナー」を探す一方、「自分と違うパートナー」を求める部分もあるようだ。
 従って、美醜は隠蔽種に足りない。
 だとすれば、金はどうだろう?貧乏人と金持ちに接点はない。

 人は進化の最中に、金銭という要素を遺伝子の代わりに取り入れたのではないだろうか。いや。だが、金は上手に稼ぐことによって、貧乏人が金持ち入りするし、下手を打てば金持ちが転落する。

 では、人にとっての隠蔽種とは何か――?
 ワタクシはひとつの結論を出した。
 国でも文化でも言葉でも肌の色でも美醜でも、それは隠蔽種となり得た。だが、進化は進化の方向を模索するうちに、隠蔽種となり得る種をも摘んできたのだ。
ならば、人類にとっての隠蔽種とは――、

 ぶっちゃけ、わからないからこそ「隠蔽」種なのではないか、と。





論文リストへ