いじめ〜ゲーム文化で すくえ!

サ々木邦芳(偽名)



昨今、いじめによる自殺の増加が懸念されている。
我々も可及的速やかにこの問題を理解せねばなるまい。

◆いじめる側の病巣
いじめる側が いじめなければ いじめは生じないし、それがいじめという人道的犯罪の主犯である以上、いじめる側に問題の全責任があるのは明らかだ。先ずはこの卑劣な犯罪者に対して考察を進めよう。
 ゆとり教育の弊害は、社会性の育成を阻害し、相手の感情を察する能力を殺ぐ事にも現れる。その被害者である若者は娯楽の一環として学友を、熾烈極まる苦境に追い込み、死ぬよりも苦しい状況に晒す事を楽しんでいるのだ。
 というのも、平成生まれの若造どもは赤子の頃からテレビゲームに囲まれているのである!そして当然の帰結として陥るゲーム脳 ※は思考能力の偏りは事物への判断を鈍らせ、販売初日前夜から店に行列を作るような醜態を演じさせている。
 そしてそういう思考能力の偏りこそが、先に指摘した共感能力の不足と相乗効果を発揮し、限度を失わせて いじめの陰湿さと凄惨さを凄まじいモノにしている。 しかも全国に死者を何人も出しながらもいまだに反省もしないとはまさに恐るべしゲーム脳。

 経験値やレアアイテムという利己的な目的のために殺戮にふける文化、さらにはいかにルールを悪用して(時としてはバグを駆使して)高得点を上げられるか?を競う類の劣悪な文化に汚染された精神世界の住人は、民族文化(…恥の忌避、品位と誇り)を失い、「ばれなけりゃいいや」「死ね!いっぺん死ね!」という朝鮮じみた発想の元に現実世界での快楽殺人を企図し、卑劣にも自らの手で直接殺人をするでもなく被害者に自主的に殺させるという方法でいじめっ子の殺害を企図しているのである!
綿密な計画を練って思惑通りに 自殺に至らせた暁には、おそらく脳内で荘厳なファンファーレが鳴り響き、絶大な充実感を味わっていることだろう、げに恐ろしきゲーム脳! バッドエンドになってもリセットすればいいや☆という甘えに支えられた稚拙な精神文化が、良心の欠如した知能で用意周到ぶりを発揮し、いまや取り返しのつかない惨劇を繰り広げているのである。
 頭書の姿勢とは乖離するが、改めるに憚ることなかれという先人の教えに従い態度を改めよう。やはりゲームを
  ・遊ばない
  ・買わない
  ・(ソフト以前にハードを)持たせない
という 「三ない運動」が有益といえるだろう。
賛同者は巻末に載っているであろう筆者の口座に資金援助を戴ければ幸いである。

◆いじめられる側の病巣
 いじめられる側がいなければいじめが成立しないのだからいじめに関しては責任がなくとも、これを論じる事も意味があるだろう。なぜなら(いじめは兎も角)自殺に関しては主謀者でもあるからだ。
 彼らの視点で事態を見返すならば、死ぬよりキツイ現実と、死を比較したときに、死の方が楽ならばこの世のしがらみを捨て(あの世に)逃避する事も至極妥当な選択といえるだろう。
 いやいや、納得してはいけない!まがりなりにも命が粗末にされているのだから由々しき事態だ。
 年端も行かぬわずか十代のまだケツの青い若者が、この物欲にまみれた大量消費社会での様々な執着や、命への固執を捨て去り、淡々と死を選ぶほど達観させて、輪廻から解脱させてしまってもいいものだろうか? 断じて否!それは、物欲と色欲と名誉欲と、もろもろの世俗の欲にまみれた大人の沽券に関わるのである。そもそも そんなに ひょいひょい解脱されては、解脱者へのありがたみ がなくなってしまうではないか!

 いや、数だけの問題ではない。質についても問題であり、ぶっちゃけ苦難を乗り越えて解脱するからこそ、輪廻からの脱出には意味があるのである。
 例えば、ドラクエ一つ例に挙げれば、 何の対価も払わずロハで友達から借りて、何気なくゲームを始めたところ、開始早々何の苦労や葛藤もなく、弱弱なスライムを一匹倒したら実はそれが魔王の化身でした!→すぐさまエンディングテロップが流れ出した…としたら、そのクリアにははたして意味があるだろうか? (いや、ない。限りなく無価値に近いだろう)
 そもそもクリアと言うのは、販売日前日から徹夜して店に並んで寒さにがくがくぶるぶるしながら、睡魔と闘いながら、風邪をうつされて朦朧とした体調のまま、中国人マフィアと過酷な争奪戦をかいくぐり、その上でなけなしの、親の目をかいくぐって秘密裏に確保した資金をなげうち、そういった筆舌に尽くし難い数え切れぬほど数多の困難を戦い抜いて勝ち取るからこそありがたみと価値、素晴らしさが生じるのであり、容易に過ぎるクリアには意味や価値など無い。

 だから、親に買ってもらったり、金に糸目をつけずに中国マフィアの転売から入手したり、朝鮮企業の黄色い中古屋で買うような無気力振りは、価値を減殺するものである。
そういう無気力ぶりが更なる無気力ぶりを招き、執着を捨てさせて折角の輪廻から解脱してしまうようなもったいない境地を形成してしまうのだろう。
 故に、子供を甘やかさず(ゲームを買い与えず)、慢性的な欠乏状態の中でハングリー精神を養うことが肝要といえるだろう。親や教師たるもの、子供対して甘やかしすぎる事の恐ろしさを、プリンセスメーカーで学ぶべきなのでる!
父兄や教師に、可及的速やかにゲームを普及させて自殺を抑止すべきであろう。賛同者は巻末に載っているであろう筆者の口座に資金援助を戴ければ幸いである。

◆結論
 今回、期せずしてゲームの賛成派、反対派、双方をカモにする事に成功した。
 斯様に、いじめはゲーム文化で“巣食え”るのである。証明を終えた今、存分にテレビゲームに勤しむとしよう♪

参考文献:
 科学的な反証はないものの、ゲーム脳による自覚のない逆切れを楽しめる良書:と学会 『トンデモ本の世界T』 太田出版、2004年。ISBN 4872338499

 ゲーム系資本の幇間として「テレビゲームで遊ぶことで脳が壊れてしまうことは100%ない」とか書いちゃう愉快なおじさんの妄げn…もとい、良書、すくう先達でもある: 川島隆太 『頭をよくする本』 ベストセラーズ、2004年。ISBN 4584159858



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