ちょっとだけ気になる5.1

藤野達樹



 ひと昔前は、劇場の独壇場だった臨場感も、プロジェクターの普及や、ドルビーサラウンドシステムの一般家庭への普及により、随分と気軽に楽しめるようになってきた。特にDVDが採用している5.1chサラウンドなる音声再生システムは、まるで映画館そのものを持ち込んだような迫力を出せる装置であるとして人気がある。筆者個人はせいぜいヘッドフォンで満足する程度の耳しか持ち合わせていないから、そうしたシステム構築にはあまり興味はない。が、にも拘わらずわざわざこんな稿を認めているのは、他でもないこの“5.1ch”という名称自体が気になったからである。普通に考えればこの数字は“音を再生するときに出力する端子の数”のことであろうから、5つそれがあるということなら分かる。しかし、不思議なのは残りの0.1だ。モノを指した名詞であることは明白なのに、小数値という奇妙な値を持っている。何気ないと見過ごせばいいのかもしれないが、我々机上理論を追究する見としては、こうした事柄は好奇心を喚起させずに置かないのだ。


 謎の解明にあたって橋頭堡となるのは“小数値”そのものに眼を向けることだ。そこでまず、モノの数え方から本問題にアプローチしてみよう。
 数を数えるときに整数値を取らない例というのは、実生活では頻繁に起こる。1.5リットル、42.195kmといった量的なものが一般的だが、チョコボール一箱には32.3個入っているというような平均値とか、0.5回の確率であのドジっ娘は転ぶというような場合だ。
 では、量的なchとはどういうことだろう。このイメージを掴むために、ちょっと話題を変えよう。

 ある年の大晦日。年越し蕎麦の配達も終えていよいよ店を閉じようかと思っていた蕎麦屋に、母子連れが入ってきた。母子は隅の席に腰掛けると、寒さを癒すように身体を寄せ合った。母は子に慈愛を向け、子は母に愛らしさを見せていた。店主が注文を取ると、「掛け蕎麦を一つ。」という。一人分しか頼まないのは不信に思ったが、店主はとにかく注文どおり蕎麦を差し出した。「ごゆっくり。」言って厨房に戻ろうとする彼に、母の方が声を掛けた。「もう二本ください。」店主はその言葉に得心した。この母子は一杯を注文する分しかお金を持ち合わせていないのだ。つまりもう一組、二本の箸が必要だというのだ。そうして彼は二人の情愛に涙しながらも箸を差し出した。が、母はなおも言った。「いいえ。箸ではありません。この蕎麦はいつもより二本足りないのです。」その店の蕎麦は一杯の本数が正確に20本であることを売りにしていたから、この物言いには店主もムッときた。だが、数えてみると確かに2本足りなかった。常に同じ手加減で一把を掴む彼の正確無比な手さばきも、一杯しか注文をしないという不思議さに気をとられてしまったのだろう。店主は詫び、一瞬にそれを見抜いた母の眼力に対し、もう一杯をサービスした。

 母は絶対記憶の持ち主だったとも、二本が鍋の蓋に張り付いていたんだとも言われるが、とにかくこのエピソードは“0.9杯の掛け蕎麦”として知られるものである。
 このように、ある基準が確たるものとしてある場合、それと僅かだけ違う場合に小数が数として考慮される場合がある。今回の5.1chでは1chという基準があって、その5倍ではなくもう少しだけ大きいという意味での5.1倍ということなのだ。ちょっとだけお得感をかもし出すようになっているのかもしれない。これはむかし某製菓会社から発売されていた5/8チップが小ぶり感をアピールしていたのと同種のものといえよう。ではchは何か? Ch.と略される後には、鎖(chain)、チャンピオン、章(chapter)、化学(chemical)、チーフ(chief)、子供(child)、教会(church)などがあるが、ここで意味を持ちそうなものは“鎖”と“化学”くらいか。とすると、“5.1倍だけ標準の音響装置よりも縛り付けることができる。”とか、“5.1倍の化学変化を起こすことができる。”といった意味解釈をすることができる。
 以上のことから、5.1chを量的なものと捉えた場合、その内実は霊的か、ピラミッドパワーのようなものとみなすことができそうだ。
(全然関係ないが、“ムッとした”という表現に“憮然”という言葉をあてるのは間違いだ。あれは本来“失望し、ぼんやりすること”を指す語で、“茫然自失”という意味が近いものだ。)

 では、5.1chを確率と考えた場合はどう解釈できるだろう。この場合の確率とは、10箱に一枚銀のエンジェル、2ケースに一つ金のエンジェルといった時に一つのチョコボールに対する単位、0.1AgAn、0.01AuAn、などを思い浮かべていただければいいと思うが、5.1chの0.1が整数となる個数に一つ、得する仕掛けになっていると考えるのである。早い話がこの5.1chサラウンドシステムという家電は、基本構成は5個のスピーカなのであるが、流通している商品の中の10セットに一つの割合で、金のスピーカもしくは銀のスピーカが入っているということを示しているのである。
 このシステムが自宅に送られてきたとき、箱を開けるときのワクワク感を増大させるための仕組みということは、十分にあるうることである。
 逆に、品質が悪いものも混じっているという意味とも考えられる。これは“もともと6個のスピーカが入っているんだけど、そのうちの一つは90%の確率で故障している。”ということになる。輸入物のDVDだってこれほど焼きミスしないし、そもそもこのシステムの現行の普及率で粗悪品を掴まされたと騒いでいる輩の多くないことを考えると、負の意味合いで商品名をつけているということは考え難い。


 一般的な表現ではなくなってしまうが、フラクタル次元という考え方がある。ちょっと長い説明になるが、解説しよう。
 ある図形を拡大してゆくと、全体像と同じような形(自己相似形)がまた見られるというのがフラクタル図形だ。三角形の一辺に三角形の出っ張りを果てしなくつくっていくコッホ曲線や、昆虫のように大小の丸を繋いだマンデルブロー曲線などはなんらかご覧になったかたも多いのではなかろうか。この曲線は平面をどこまで行っても線で埋め尽くすため、単純に長さを割り出せない特徴を持っている。これは、でこぼこした海岸線を何処までも正確に測ることはできないことを思い出していただければ直感的に理解できると思われる。このためフラクタル図形では、一般に言う外周とか面積などが定義できないのだが、これに代わるものとして考えられたのが“フラクタル次元”である。
 平面状に描かれた線はふつう幅を持たないため、1次元なのだが、フラクタル図形はある程度平面を“埋め尽くす”ことができるため、対数的に“埋め尽くせる度合い”だけその図形は2次元に近いことになる。つまり1.5次元とか1.3次元とか、次元なのに小数で記述されてしまうのである。(フラクタルを曲線ではなく曲面に適用すると、2.3次元とかいう具合に、2次元と3次元の間の次元を考えることができる。)
 長くなったが、このように“ある個所に幾重にも重層的に織り込まれているような構造の場合には、一般的な意味での数値の考え方が適用できない可能性があるのだ。すなわちフラクタルではそれは次元だが、今回の件でそれはスピーカの個数なのだ。だから例えば“スピーカの個数から考えられる以上の重層的な広がりを持つ音響システム”のような意味合いで5.1chという名称を使っているのであれば、実際の装置において我々は、5箇所以上の場所から音源を聞き取ることができるのである。実際この理論自体は机上理論でもなんでもなく、2箇所で非常に周波数の近い音を出した場合、音響的中心から音叉が聞こえるというような例をあげることができる。
 では、何のためにそんな小難しいことをしなければいけないのか。それは劇場作品の一部の作品では、ある音響が“あさっての方角”から聞こえてくる場合があるからである。そんなバカなとお思いかもしれないが、筆者をはじめ古参の特撮ファンなら必ず見たことがあるほど有名な作品で、実際にそれはあったのである。
 あさっての声、モスラを操る小美人の声である。
 これを家庭で再現するため、技術者は涙ぐましい努力を傾注し、その偉業をたたえてそのサラウンド空間の名称に音響的フラクタル、すなわち5.1chと名づけたと、筆者は思いたい。


 以上、0.1という数字がお買得感をあおるためのものと捉えるか、ギャンプル要素を楽しませるためのものと捉えるか、技術者の陰の努力を誇るためのものかで諸説を唱えてきたが、実のところ5.1chの定義は真っ先に調べていた。
 まず基本的なスピーカの構成としては、聞く人を中心にして、正面に一つ、正面左右に一つずつ、背面左右に一つずつと、最後に正面の下部に一つの合計6個ある。ただ、最後にあげた下部スピーカは、重低音(スーパーウーファー)だけを出すものであり、臨場感を増すには不可欠なものだが、単体としてスピーカというには機能的に特化しているから、単純にスピーカ6つとは数えたくない。つまり5.1chとは5+1個のスピーカシステムというような意味らしい。
 分かってしまえばなぁんだと思われるかもしれないが、筆者などはこれはこれで考えこんでしまった。というのもこの下部スピーカ、せっかくスピーカとして製造されたのに、その役割を特化されただけで一人前のスピーカとは認められないと烙印を押されてしまったのである。彼にとっては悲劇ではないだろうか。筆者はこれを思うとき、誰しも思うであろう共通した悲劇を思い起こさずにはいられないのだ。きっとこのスピーカは他の者達と少しだけ製法が違うのだろう。

 それはいつ作られたのか誰も知らない。暗い音の無い世界で、一つの端子が分かれ増えていき、一つの生き物が生まれた。彼はもちろんスピーカではない。また、静物でもない。だが、そのいかついからだの中には、正義の音が隠されているのだ。その物体、それはスピーカになれなかった0.1スピーカである。

   はやく人間になりたい!!

 つらい運命を吹き飛ばすように、みなさんの家庭にやってきた6つめのスピーカは、夜な夜なその重低音を震わせているかもしれない。もしそんな彼と眼があってしまっても、あなたは怖がらずに対処して欲しい。たとえ「おいら怪しいもんじゃないよ。」と振った手の指が三本でも。





論文リストへ