ワープ・妄想の行き着く先

加藤法之



 「いかん! こんな時間だ!!」
三秒前までのまどろみは何処へやら、目覚し時計の文字盤を読み取った瞬間、恐怖に青ざめつつ大急ぎで支度を整え、風のように我が家を飛び出す。焦燥感に潰されそうになりながらも、駅までの道のりを大急ぎで駆け出しつつ、彼は思う。「ああ、もっと速く駅まで行けたらなぁ。」
 忙しいことはともかく、筆者が上記状態になるほど末期的に寝坊することは、幸いにしてあまりないのだが、少ない経験を元に考えると、面白いことに気付いた。間に合うかどうかの度合い、切羽詰った状態の加減によって、上記台詞の後に考えることが変わってくることだ。
 まず、思い切り走ってギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際のとき、筆者は現在のスピードよりも速く目的地に到着する手段を思い描く。すなわち、「車で行けたらいいのになぁ。」というもの。もともとそれが無理だから電車に乗るのだというのに浅はかなものだが、まぁこのくらいのぼやきは判らないでもない。
 次に、駅まであと200m残した時に乗りたい電車がガード向こうからガタンゴトンとホームに入ってくるのが見えるような場合。こんな、物理的に間に合わないことが確実になったような場合には上記想念は浮かばず、かわりに「羽根であそこまで飛べたらなぁ。」と思いだす。手に届く距離なのにという歯がゆさが同情はするが、残念でしたご愁傷様というほかない段階といえるだろう。
 最後にもっとも酷いとき、すなわち、時計を見た時点でもう間に合わないことが確実、しかも電車はその時間ほぼ駅を発車してるよというような時、そんな絶望的な状況、筆者はその電車に間に合って乗っている架空の自分を想起しながら考えるのだ。
「ああ、あの電車に瞬間移動できたらなぁ。」
 よくよく考えてみると、瞬間移動できるくらいなら目的地に直接飛んでいけばいいと思うのだが、そんな自己撞着に気付く余裕もなく、来るべき破局的現実に血の気を失い、対処法(多くは言い訳)をどうするかに頭の回転能力のホコ先が移ってゆく。まさに末期的段階...。
 斯様に面白いのは、間に合うという可能性が少なくなるに応じて、思いつく対処法もだんだんと現実味を失っていく点である。自動車は金銭的ハードルをクリヤーすれば、羽根は物質的条件をクリヤーすれば(できるかどうかはともかく)なんとかなるレベルだと思われるが、最後の瞬間移動に至っては、そもそも物理法則を捻じ曲げなければならないのだ。嗚呼。

  想起の現実性は可能性の多少に比例する。

こうした教訓を、現在の我々は上記経験から読み取らねばならない。肩を落として明日こそ寝坊しないように早く寝よう。オンラインゲームもさっさと切り上げて、仲間から「シオシオ〜」とか打たれても我慢しようなんていう(夜になるとすっかり忘れてしまう)決意をせねばならないのが現状だと納得せねばならないのだ。
 だがしかし、出来ないからと諦めていては人類の進歩はない。だから筆者は今回、敢えてこの難問に挑戦しよう。限りなく速く目的地に移動できる方法という、およそ人類が有史以来渇望して止まぬ夢に。


 さて、一般に高速移動を考えるとき、A点からB点までをより短い時間で結ぶアナログな方法と、A点からB点に直接移動するデジタルな移動法が考えられる。で、どうせ目指すなら究極をと、筆者はこれまでに後者、すなわち瞬間移動について、これまでに考えたことがある。
 一つ目は、絶対に割れない物質を使うというもの。これは、磁石のSNがくっついたらなかなか離れない、引き離そうとすると非常に力が要ることにたとえられようか。とにかく絶対に分割不能な物質を造り、そこにそれでも更に力を加えると、ある点を超えたとき、空間の方が曲がってしまうというものだ。そうなると、その物質は一見割れているように見えるが、空間を飛び越してつながっているという現象が起こり、その物体がリング状にまあるくなっていると、その輪に囲まれた部分は、別空間につながっているというものである。
 Aの箱とBの箱に1/2の確率で入る電子は、どちらに入ったかは空けた時に決定される。それならば、二つの箱をものすごく放した場合、一方の箱を開けたという情報は他方の箱にどう伝わるのか、という疑問が生ずるが、量子論では驚いたことに、それでも“同時に”決定されるというのである。お互いの距離が一光年離れていようがどうしようがそれは起こる。つまり、この電子の決定条件は距離を無視するというのだ。これが量子論の発表当時当然のごとく問題視され、他ならぬアインシュタインが文句の先頭に立ったことは有名である(多世界解釈説が生まれる原因でもある)が、筆者はこうした量子力学における効果を利用することで、上述した“絶対に割れない物質”による空間超越効果を作れるのではないかと考えているのだ。“絶対に割れない物質”とはここに、電子及び(原子核を構成している物質である陽子や中性子をこれまた構成している、それこそ究極物体である)クォークなど(いわゆるフェルミオン)により構成される物質であると考えられる。
 そうした物質が現実化可能かどうかはともかく、この案は結構面白いので、一般的SF(キング(バック名義)の短編でこんなネタがあった)設定としてはよさげなのだが、いかんせん引き離したもう一方のリング状物質が目的地にあることが前提となっているため、上記した電車に乗りたいとか目的地に行きたいとかの急な要求には応じることが難しく、汎用性が低いのがいかにも欠点だ。

 二つ目は、物体の構成原子をすべて解析し、別の場所で再構成するというもの、電子や原子核内物質は空間が隔たっている同構成の電子その他とは区別がつかないという原理を応用して、コピー元の物質を電子は位置に至るまでスキャンして、隔たった場所で同物体をつくれば、それは転送と同じ事だろうと考えたのだが、驚いたことにスウェーデンでホントにやっているらしい。(原子数十個のレベルとはいえ、この再構成に成功したとのこと。これは冗談情報ではない。ただし送り側はスキャンする過程でぶっ壊してしまうため、成功しても生物には使えないだろう。)
 が、これも機械が大掛かりにならざるを得ないばかりか、一つ目と同じく転送された先にも装置がなければならないので、今回の事態には不向きなのである。

 このように、これまでの筆者の瞬間移動へのチャレンジはまだまだクリヤーする点が多く、それは同時にこの問題の困難性を再確認することにもなっている。が、とはいえだからといって諦めるのは尚早だ。そもそもまだ上記高速移動のうちでアナログなもの、超光速移動の考察が残っているからだし、実を言えば、本稿を書き出したのはそちらに橋頭堡としてのモデルを見出したからなのである。
 ではモデルって一体なんだろう。それは、宇宙戦艦ヤマトの、ワープ航法である。


 物質が光よりも速く動くことは出来ないといわれている。
 アインシュタインの相対性理論によれば、我々の世界を構成している物質は、加速すればするほど質量が増え、更に光速に近ければそれが無限大の質量と化すため、光速の壁を乗り越えるのは物理的に不可能なのだ。デジタルな瞬間移動が難しいのは勿論だが、アナログな超光速だって輪をかけて難しいことは知られているところだ。ところが、かの宇宙戦艦ヤマトは、放射能で汚染された地球を救うため、1年間で地球-イスカンダル間、往復29万6000光年という途轍もない距離の旅をしなければならなかったのだ。この、どう見ても無茶苦茶な話を実現するため同戦艦は、一度に数百光年を飛び越えることができるという驚異の長距離空間移動法、いわゆるワープ航法というものを採用している。
 技術面を担当する真田さん(我々の世代はどうも彼に“さん”をつけずにはいられない。よしんば彼の設定年齢が既に現在の我々より優に下回ってしまったとしてもだ。)によると、ワープとは、物質が光速を超えられないのなら、空間の方を捻じ曲げて現地点と到達点の二点間の距離を短くし、そこを通る、というものらしい。番組中ではこの説明のために、円周を回る点がたまに円の“弦”を通って近道をする描写や、実数直線を正弦波状化(sinカーブ)し、同曲線状を走る点が頂点から頂点にジャンプする描写を見せていた。
 どうしてそうなるのかはともかく、こうするから行けるのだということで、当時の筆者達は納得したし、その後何万の作品にパクられたかしれないほど有名なこの技術だが、長じてあらためて振り返って見ると、やっぱりどのようなメカニズムで実現しているのかという点が気になってくる。だが残念なことに、これまで彼の作品における膨大な文献をひも解いても、この点についていまだに説明されていことが明らかになるばかりなのだ。

 これは自分で謎を解かねばならない。だが、普通の物理学的効果を利用した瞬間移動を考える場合、筆者や他の科学者はどうしても現実に立脚した部分から考える習性があり、ために前記したようにまだまだ実用性の薄い方法しか思いつかないのだ。おそらく、ことワープに関してはこうした常識を飛び越えるあっと驚く仕組みを思いつかなければならないということだけは判る。
 筆者はそうした方向性に考えを絞り、考えに考えた。寝ても冷めても、通勤する時も散歩する時も、仕事してるときも(って駄目だろ)ずっと考えていた...。
 とそんな時、それは起こった。それまでと同じように頭をフル回転させながら、近所の本屋に週刊私のお兄ちゃんを買いに行ったときのことだ。ウンウン唸って頭を抱えて、ああやっぱり駄目だと落胆気味に我に返ったとき、つと、筆者は自分が本屋の前にいることに気付いたのだ。
「!」
 筆者は一瞬自分が何処にいるのかを疑った。勿論本屋の前に立っていることは理解している。問題は歩いたという実感だ。自宅から本屋まで1kmはあるだろう。で、それなら大体15〜20分くらいかかってしかるべき(いつもは実際そのくらいかかっている)なのに、その時の筆者の体感では僅かに10秒も経っていない。
キタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━(  ゚)━(  )━(  )━(゚  )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!! 
と思った。これぞワープ航法の謎を解くカギだと!!

 上記で閃いた考えというのは次のようなものだ。まず、考え事をしながら歩いていると、思わぬ距離を移動していることに気付くが、このとき、主観的には短時間で多くの距離を移動したように感じる。これは徒歩移動のような遅鈍な動きでは全く問題にならないが、ではもの凄く速いスピードで移動している場合はどうなるだろう。それこそ亜光速(光速に近い)で移動しているような場合は!

仮説
 対象が亜光速移動中、中の乗員が考え事をしている場合、経過時間と体感時間に差が生じるが、その比率を乗じた分だけ、対象は光よりも早く進むことができる!

 天啓の如き閃きの後、すぐに筆者は上のような仮説を立ててみた。判りやすいように具体例を挙げてみよう。今光速の1/2の速度で移動しているとして、中の乗員が1年間考え事をしていたとする(計算しやすいように、長時間にしています)。そして1年後、はっと我に返った乗員は、体感で0.01年しか経っていないように感じたとする。すると一般の物理では
  1/2光年 × 1年 = 0.5光年
なのであるが、この距離を進むうち、体感時間を基準にすると0.01年しか経っていないから、
  0.5光年 ÷ 0.01年 = 50光年/年
驚いたことに、光速の50倍の速度で移動したことになるのである!!!
 一体、こんな不思議なことが起きるのか? 起きるのだ。宇宙船の中の時間は外の世界と違うことが判っており、つまり宇宙船の中だけでしか通用しない。だからそれは、宇宙船に乗っている人の生理にあわせて動かなければ不都合が生じるのだ。よって、宇宙船内の時計は何より体感時間との一致を優先されるのである。一気に胡散臭いものを見る目が増えたような気がするから、ヤマト中の実際の映像を見てみよう。最初のワープを終了したとき、島は「三分しか経っていないぞ。」と驚くシーンがある。これが本説を強力に後押しするのだ。というのも、そもそも一般には乗物が移動する時間は、乗っている人間が既知のもののはずだからである。新幹線だって何時間の行程か位は承知して乗るでしょ。ましてや人類初のワープである。大体何時間ワープをしますよということがもし判っているならば、その通知はあらかじめ総員に告知するのは当然だろう。然るに上記台詞を漏らしたということは、一回のワープが大体にしろどの位の時間になるかがわからなかったからに他ならないのだ。(このへん、敢えてツッコミは受け付けない。)

 さて、上記理論をヤマトのワープ航法が採用しているとして、仮定の宇宙船とヤマトの一見して判る違いは、乗員の数だ。前者の乗員は当然一人だろう(主観を伴う当人だから)が、ヤマトは実に二百人以上を載せている。ということは、後者の時計がもし体感時間に依存するとしても、それは200人あまりの人間のうち一人でもしゃんとしていたら、船内の時計はその人が基準となって動いてしまう。ということはヤマトがワープするための条件とは、二百人あまりの人間が一時に“ぼーっ”としていなければならないということだといえる。
 してみると映像中に見るワープシーン。異常な緊張感を伴って行われるが、これは乗組員全員の意志を統一するための儀式であると考えると納得がいく。意志統一が完璧なほどヤマトの動力である波動エンジンは(乗員の目を掠めて)強力な航続力を得るから、すなわちそれこそがジャンプを長距離化するする秘訣だとわかるのだ。
 この意志統一も、最初のうちはやはり巧くいかなかったのだろう。劇中シーンでも、火星軌道にて行われた最初のワープでは、ヤマトはワープ中、その周りに原始時代とか現代とか、なんだか判らないものがもやもやと浮かんでいたりしていたのだが、これは従来では、時空間が捻じ曲がっているためという説明が為されていたが、我々はいまやこれがそうではなく、乗組員の誰かがワープ中に考えていた妄想を映像化したものだということを理解するのである。そしてこの妄想映像化仮説をもっとも明確に証拠付けるのは、何を隠そう、当時話題になった森雪のヌードシーンだろう。ワープ中、彼女のスーツが透けてしまうという、全く唐突に挿入されるこのシーンは、次元がゆがんでいるどさくさにまぎれてだというような従来の説明は全くお話にならないほど馬鹿馬鹿しいものなのだが、今やこれが、誰かがワープ中に考えた妄想だったという、初めて納得いく説明が与えられたのである。では誰の妄想だったのか。映像は左からのショットだったから、位置関係からすると南部や相原あたりの妄想かもしれないが、ひょっとすると沖田艦長かもしれない。全くむっつり助平である。だから木星までしか飛べなかったんだって。
 ところがこれに対し、一転して後半では航続距離を伸ばしている。これは、イスカンダルからの帰途となると、もう地球が恋しいという想いを皆一律に抱いていたから意志統一しやすかったのだろうと推察できなくもないのだが、では行きの行程では何がそうさせていたのだろう。森雪に勝る妄想の統一を成し遂げたものなんて何が考えられるというのか。筆者はそれは、常に神秘的存在としてヤマト乗組員の前にあったスターシャではないかと考えている。着いてしまったら普通の女性であることが判明する彼女も、辿り着くまではおよそ女神というに相応しい位置付けで、ヤマトの旅路を見守っていたから、彼女がイスカンダルへの道行きのシンボルとして乗組員の憧れをまとめたとしても不思議ではないだろう。途中から女性クルーが森雪以外見当たらなくなったのはしてみると納得がいく。(スターシャの妹であるサーシャに間違われるほどの)雪くらいの美人でないと、スターシャを見て心穏やかならぬものがあるだろうからだ。(じゃあ残りの女性達はどうしたのか? 太陽系を離れるときに返したか、冷凍冬眠するかしたのだろう。)
ちなみに、現在のように“萌”文化が発展しているような時代にヤマトの旅をすることになったとしたら、モニター上に浮かびあがるこうした女神の存在や呼びかけは、当時と随分と違うものになったのではないかと思われる。おそらく、目の大きさが顔の1/3程もある女の子が「あたち、イスカンダルのスターシアたん。6歳。」とか言って画面に映ることになる。(画面の右下にはブロッコリーの文字が!)更に、「お兄ちゃん。待ってるミャン。」てな呼びかけが、若者達の大いなるモチベーションをもたらすことになるのだ。はっきり言ってそんな社会放射能で全滅してしまえと言いたくなる!! のだが、あきば通の外神田あみたんに誘われて秋葉原にふらふらと行ってしまうような現実を前にして、筆者はいかにも愕然とするのであった。(でも、地獄の黙示録で、ベトナムの米兵ってこんな感じだったな。)
 妄想を伴うことによるワープのもつ理論上の欠点についても触れておこう。同理論においては、進路に何らかの障害物がある場合が、もぅ致命的危険状態になるのだ。というのも、何しろ考え事をしながらの航行を推奨しているわけで、高速道路で一秒わき見することさえ命の保証は出来ないってのに、それより更にとんでもない速度で移動するのだ。そんなのもう危ないことこの上ない。命がいくつあっても足りないってものだろう。だいたい、妄想を伴って歩いていると90%の確率で電柱にぶつかるということは、めぞん一刻の五代裕作が身をもって証明している人間の真理だからだ。
 宇宙に電柱がないのは、地球にとって不幸中の幸いだったと、筆者などは胸をなでおろしたものである。

 さて、超高速移動に関しての考察は、デジタルな瞬間移動ではまだ壁があるものの、心機一転して研究したアナログ超高速移動理論において、ヤマトのワープ航法の詳細な研究から明らかになった、人の意志を介在させて実現する超光速移動という、あまりにも偉大な成果を挙げることができた。ここに速度に関して光という上限をなす壁が取り払われたことは、瞬間移動に限りなく近い移動が可能になったということでもあり、人類の夢がまた一つ叶えられたといっても過言ではないだろう。
 だから最後に筆者は、この素晴らしい理論に名前を付けて結びとしたい。人の意志が重要な意味を持つそれは同時に、瞬間移動に少し足りないという意味もこめて、主観移動と呼ぶのが相応しいのである。





論文リストへ