量子化のすすめ

藤野竜樹




 量子力学では、重力などが空間に及ぼす影響を場として捉える。電場とか磁場とか重力場とかである。場の中に他の物体があるとき、引力なり斥力なりの相互作用が及ぼされるのだが、その際ゲージ変換という数学的なデータ変換を行って“場”を“粒子”に置き換える。場が蜘蛛の巣だとすると粒子は相手に鉄砲の弾を当てるようなもので、全方向的な場と、相手を定める粒子を同一視するのは奇妙ではあるが、例えば電磁力を媒介する粒子である光子(フォトン、末尾につける-onは、粒子であることを示している。)などはこの変換によって存在が規定されるなど、物理学の中では明確に成果をあげている便利な考え方なのである。  突然専門的な話を始めたのも、物理学が光の干渉現象と光電効果に見られる、波と粒子の混在というアポリア(難問)を解決するために用いた上記ゲージ変換の場と粒子を変換するという発想が、これから展開する話のテーマだからである。


 我々の周りで波と言われて思いつくものに“景気の波”がある。従来の経済学にはそれらにチキン波・ジュグラー波・コンドラチェフ波などがあるとする説があり、それぞれによって景気に長短ある波の動向をつかもうとしているのだが、ここではそうした波を、量子化してみようとするのだ。
 景気とは何かと考えると、それは人々が漠然と捉えている世の中の金回りの良し悪しである。となると景気の波とはつまるところ、人々の間を流れる波と捉えることができる。ということは、最小構成単位を一人の個人としたとき、人々が大勢集まったときに景気という行動原理によってあたかもその人々が波に乗っているかのように行動するとみなせば、上述したゲージ変換を適用できると考えられるのである。そして変換の結果人と人との相互作用には粒子が絡んだ状態を想定できるようになるのだ。
 景気の場を変換したときに現れる粒子は、ズバリ“景子(sigoton)”と名づけられる。(“けいし”であって、けいこさんではない。)これは、人と人との間で付加価値をつけながら相互作用すると捉えられる。そこでは好況と不況の波は仕事を頼む側と実行する側のどちらからどちらに向かって景子が動くかで決定される。すなわち、依頼側から実行側に景子が流れる場合、実行側は景子を受け取るときに足りないエネルギーを補わなければならないため、依頼側から多くの“金子(かねこさんではない)”と呼ばれる粒子が流出し、これがいわゆる“好況の波”を表し、逆に景子が実行側から依頼側に流れるときは、金子の流出は抑制され、“不況波”となるのである。
 景子は無から生み出され得るが、生み出されるにはある程度のエネルギーが必要なことがわかっている。これはこれまで経済を波と捉えていた考え方では説明できない現象を巧く言い表すことが出来る(それはあたかもある一定以上のエネルギーを与えないと光が出てこない光電効果を、光を粒子と捉えるからこそ説明がつく現象に似ている)。というのも、経済が順調に流れているときの場は、活発な動きを誘発しつづけるが、不況が極まってしまって一旦流れが止まってしまったとき、再び場を活発にする場合、経済を連続した場とみる経済波の考え方では、ほんの少しの初期運動を与えてやるだけで再活性するはずなのに、実際にはそうならない。現実には日銀によるチビチビとした経済介入がまったく役に立っていないわけで、これは経済が完全な波だとすると説明し切れないのだ。これが、景子を導入するとどうなるか。景子は当然一人と数えるべきものだから、現れる時には当然人として扱わねばならない。ということは日本国憲法に照らしても、彼女には“健康で文化的な最低限度の生活”をさせなければならない。つまり景子が生きていくためにはある一定のお金がいるわけで、この金額が出せないようなら日銀は景子のパトロンにはなれないのである。「はいパパ。」とは言ってもらえないのである。
 景子を使っての経済現象へのアプローチを試みる姿勢が有効であることはご理解していただけただろうか。上記したような経済学はこれまでの学問とは違うものになるため、“量子経済学”という名を持ち、今後の発展が期待される分野である。
 そうそう、最期に、本分野の最新の研究では、景子が経済場を動かすに最も有効なのは、アメリカ市場に介入することが効果的であるとの報告がなされている。というのも、アメリカ証券取引所が空いている時間は、日本は夜な訳で、すなわち、
  景子の「夢は夜開く」
のである。






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