カゴメと言ってもケチャップじゃないよ

藤野竜樹




かごめ かごめ かごのなかのとりは
いついつでやる
よあけのばんに つるとかめがすべった
うしろのしょうめんだぁれ

 “かごめかごめ”という、手をつないだ5〜6人が取り囲んで、しゃがんだ一人の周りをまわるこの遊びは、目隠しをしたその一人が自分の背後にいる人間の名前を当てるというルールがある。周囲の者たちは上記の歌を歌うあいだ一人の周りをまわり、歌の終了を合図に中心の一人が“誰”かを言い、当たったら当てられたものと交代し、またまわり始める。筆者個人が上記の歌を歌いながら遊戯にふけったのは幼稚園の頃だから、実に四半世紀以上も前のことになってしまったが、自分の周囲をまわる歌声が、伏せた頭上を流れていく時の奇妙な感覚は、今でも明瞭に思い出すことができる。
 その歌を聴きながら、筆者はいわゆる“後ろの正面”に来た人間が誰かを当てようと必死になって個々の歌声に集中したものだが、そうした聞き分けに集中する自分とは別にもう一人、あることを考える自分も居た。それは“誰“かを示す手がかりとして歌われているまさにその歌の歌詞、すなわち上記の歌の内容について想いふけっている自分だ。
 いったい、不思議な歌詞である。はじめのほうのフレーズはともかく、後半になると俄然意味が不明瞭になるからだ。“よあけのばん”、“うしろのしょうめん”は当時でさえ矛盾した表現に思えたし、なんで鶴と亀が滑らないといけないのかになると、さっぱり見当もつかなくなったものだ。そんな幼い日の疑問をふと思い出し、ではと長じて考えるに、この歌詞に意味があるのだろうか。何かこめられたものがあるのだろうかと再び想いにふけってみたところ、自分なりにあるまとまった考えに到ることができた。そこでこれからの本稿では、そうした考えを紹介してみることにする。

 意味解読にあたって参考になるものはけして多くはない。せいぜい歌詞そのものと、遊戯全般の状況といったものくらいだ。だが遊戯そのものが、“捕らえておく”と“脱出する”両者の関係で成り立っているのだから、歌詞の捉え方もそこを基本として踏まえるべきだろう。
 してみると、歌詞の前半部はさして難しくはない。“かごめ”は“囲め・籠目”のどちらととっても、周囲に存在するであろう障壁の存在を髣髴させるし、そもそも“籠の中の鳥は”を“虜”ととるのは、遊戯の状況を正確に描写しているのだから。(“かご”を“加護”ととれば、強ち拘束と決め付けるのに抵抗のある向きもあろうが、箱入りの状況というものは総じて、しているものはそう思ってはいないのだろうが、されている者の方は不利益を被っているものである。)そして虜であるからこそ“何時何時出やる”、何時になったら出られるのだろうかという嘆息に実感がこもるのである。
 彼は犯罪者ではあるまい。犯罪者であれば、その社会の中では判例的に刑期が決まっていることが普通だから、何時出られるかわからないという状況にはなり得ない。とすればここでいう彼は思想的か異民族か、何らかが異端であったことが原因で虜囚とされた政治犯であることが察せられる。そしてそう考えればこそ、つぎの詞“よあけのばんに”が意味を持ってくる。すなわち“ばん”は“晩”ではなく“番”であり、“よあけ”とは字義通りの意味の“夜明け”というよりも“世明け”、つまり世情があけた、変わったと解することが出来るのだ。彼が釈放されるのは世が開けた番、すなわち、世の政治体制が革命や戦乱など何らかの方法で変革されたとき、異端である事が赦免されるときである、ということになる。

 では、そんな彼は何時の時代の人なのか、何時彼は虜となっていたのかということが次の疑問となるのだが、それは次の詞、“つるとかめがすべった”が解決してくれる。
 普段我々は気にもしていないのだが、あらためて今について語るときハタと気づくのは、ほかならぬいまという時代を表現する言葉は、今という時代には用意されていないということである。確かに表向き、現在は平成の御世であり西暦も二千年紀を迎えて、そう言う意味での数値的定義は確定する。だがここではそういうことではなく、例えていうなら'80年代が大量消費社会であり'90年代が不況社会であったというような、その時代を的確に表現する象徴的なことばは、その時代の渦中にあっては決めることが出来ないということだ。
 “かごめかごめ”の作詞家も、そのことを十二分に判っていたのだろう、だから彼はなるほどと納得する方法でそれを表現している。すなわち彼のいる時点での現在は、“つるとかめがすべった”次の時代だと表現したのである。
 時代区分は普通、政治体制の種類によってなされるから、“すべった”は字義通りの意味である“滑った”ではなく、“統べた”すなわち“支配した”と解するべきだろう。してみると“鶴”と“亀”は何か? これは、統治期間を表現していると解せるのであり、すなわち、“鶴は千年”、“亀は万年”。  千年にわたる統治期間と、更に一万年に及ぶ統治期間を持つ政治体制など存在するのか? 戦後の体制だって60年程度だし、江戸時代にしたって250年しかない。だが、だからといってそれをもってしてこの見解を否定しようという向きがあるとすれば、それは尚早と言わねばなるまい。何故ならそれは現に存在するからだ。どんな歴史年表にも必ず存在する、千年と万年のその時代区分を皆さんは見落としているだけなのだ。そう、千年に及ぶ“弥生時代”と、更にそれ以前に一万年以上続いていたであろう“縄文時代”のことを。
 鶴と亀が指定する時代区分がこうして明らかにされた。そうして更に、歌製作者がいた当時がこれら年代区分の後の世であるということだから、縄文時代と弥生時代を経た後の世、“古墳時代”が当該時代と判断できるのである。

 古墳時代に、時代の変革を期待して虜囚の待遇に堪える者が居たことが判明した。となると次に湧く疑問は、では彼は、どこに幽閉されていたのかということになろう。が、驚くべきは、これについてもこの歌の作者は歌の中に詠みこむ事に成功していることであり、まさしくそれが今から探る歌詞の最後のフレーズを繙くことで導き出せるのだ。
 最後のフレーズ。周知の様に、“うしろ”と“しょうめん”という相反する方向の混在がいたずらに解釈を難解にしている部分である。この部分、筆者はこの文をそのまま受け止めることには疑問を感じる。というのも、この歌は既に千年以上の時を経ているわけで、それを鑑みれば、音韻変化による意味の混乱は十分ありうることである。
では筆者はどう考えるか。該当文は、“うしろ”の“しょうめんだぁれ”であり、強調を表す倒置法として、“しょうめんだぁれ”の後ろ、だとみる。そこで“しょうめんだぁれ”とは何かということになるのだが、手がかりは遊戯そのものにある。先述したように本遊戯は数人で輪になって一人を囲むのが基本であるから、それはすなわち円が重要だというメッセージと取れる。すると、本フレーズには円が隠されていることがわかり、すなわち、Syou-m-"en"である。mは山王を“さんおう”ではなく“さんのう”と発音する場合の付加子音だとすれば、これは“正円”だということになる。そして最後の“だぁれ”についても音韻変化はあったと思われ、その元は“たぁれ”すなわち“垂(たれ)”だと考える。平安以前の文化において言葉のにごりは嫌われたことと、大陸渡来の防具として下半身防護の為の垂は当時から存在していたからである。“誰”説は、遊戯そのものの目的に引っ張られた名称変化と考えられる。まとめてみよう。捕らわれている場所を指定する最後のフレーズには“正円”と“垂”という形を示している。この形はしてみると鍵穴状の形状と考えられるが、この“後ろ”に虜囚がいるという意味になる。
 ここに現れた“鍵穴”という形状。読者はそこに、紛れもない古墳時代を象徴する巨大建造物の形態的特徴を見出しているのではなかろうか。
 前方後円墳!

 前方後円墳は虜囚を幽閉した建造物だった! かごめかごめからこんな結論が出てきただけでもかなり驚きだが、筆者は最後にもう一つつっこんで、この歌が作られた真の意味について考察を深めたいと思う。
 前方後円墳に閉じ込められた、当時の政治の犠牲者。本歌の作者は彼を悼む気持ちで本歌を作詞したのだろうか。いやそうではない。この歌詞がわらべ歌であるという事実は、それを否定するのだ。というのもこのような謎歌を、永く人々のあいだに残る可能性の高いわらべ歌としたところに、明らかに作者の追悼以上の作為が感じられるからだ。そして実のところ、本歌の最後の、そして最大の秘密はそこ、虜囚の開放にあるのだ。
 そもそも、本歌が幽閉された者をテーマとした歌であり、その歌が継承されねばならないと考えるとき、本歌の目的が、幽閉された者の開放にあると考えることは自然である。そして実際、開放の方法すらここには隠されている。だからそうした目でもう一度、本遊戯に立ち返ってみる。中の人間を自由にするにはどういった方法があったか。それは中の者が自分の背後にいる人間の名前を当てることであった。歌詞の最後の“だぁれ?”にも影響を与えたこの、名前を当てるという方法こそ、前方後円墳に閉じ込められた者を開放する方法に他ならない。では中の虜囚が外の誰かの名を当てるのか? これはナンセンスだ。これはあくまでも遊戯のルールであり、長期の幽閉を基本とするなら、名を当てるのは外の者が幽閉されたものの名を言い当てると考えるほうが自然だ。
 この歌を作った時点での今では、幽閉された彼を解放することが出来ないが、この先歌い継がれていった先の、古墳時代が終わったどこかの時代でなら、彼を再び白日の下に解放することが出来るかもしれない。儚い望みを託して作者の悲痛な心根がこうして浮き彫りにされるが、我々はここに、前方後円墳についての今まで常識を変更しなくてはならないことに気づくだろう。すなわち、前方後円墳が従来言われているような“お墓”ではなく、超長期的幽閉装置、一種のコールドスリープ装置だったのだということを。眠りを覚ますスイッチとして名前を呼びかけるというのも、名前に対して大いなる呪術的力をこめてあった古代においては、決して不可解なことではない。

 こうして“かごめかごめ”を繙くことによって明らかになった謎の大きさ、思いがけなさに、筆者は信じられない思いであるが、最後の最後にもう一つ驚くべき発見を報告する。それは千数百年の時を経て、名前を呼びかけられることで現代に蘇えった者がいるという事実である。筆者はここで力強く、もう一度その呼びかけをして本稿の幕としたい。
 おーい! はに丸!!





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