犯罪論シリーズ  たけし、しっかりしなさい。

高橋英明



 近年、注目されている少年犯罪。青少年による殺傷事件は、他者を同一社会内の同胞と捉える観念が欠如した結果だと言うような認識を、一部の社会学者は提示している。
 既に少年にとって殺人は現実味のある選択肢の一つのようだ。

 殺人は、被害者の存在意義を認めないという意味で、人格の否定だ。(殺害被害者側の人格に問題があったとしても、いずれにせよ)何らかの問題が存在した事を示す事象である。

 近年、人は独立を気取るが、平気で他者を切り捨てられる生き方は 評価の基準が狭め、些細な刺戟(しげき)で自我と自尊心を瓦解し得る(すぐキレる)という傾向を持つ。所詮狭い世界しか持てない、うら寂しく侘びしい生き様だ。
 翻り、他者と関係を持ち、依存することは自分を越えた主体を獲得し、自分を相対化した認識を経て、構成員の多彩な視点に支えられるため、盲点の補完と相互扶助から(自暴自棄になりにくい)強固な基盤を形作る。
 社会性をまとい、斯様に誰かを必要とする事は、自らのみでなく他者にも従属する事を意味し、端的に要約すれば、次の一文に集約される。

   お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの。

 暴力と縁が薄い一方で、他者に依存せず、他人に無関心で、他者と関係を育てることが出来ず、冷酷に殺人を行使しうる、独立した紳士が素晴らしいことなのだろうか?

 泣き、わめき、笑い、おこり、感謝し、時としてぶつかり、時として助け合う、何処かで他者に依存した生き方が無意味なのか?

 どういう生き方が佳いか、選択は読者諸氏が自分の責任で選ぶことであり、私は特定の選択を強制はしない。

 しかし、近年、増加傾向にある青少年の殺人行為は、専門用語で言うところの、「ジャイアニズムの希薄さ」が招いているという事実だけはこの場を借りて指摘しておきたいのだ。

・・・とは言う物の、ジャイアニズム宗家の剛●武が近年、無難な軟派に変わり果ててしまった事は残念でならない。



注釈

提示:
 以下の書籍で斯様な認識を拝読した。筑摩書房 藤原和博 宮台真司、「人生の教科書[ルール]」
選択肢:
 昔、暴走族の落書きは、「喧嘩上等」であった。今は既に「殺人上等」と化していた(京王若葉台駅付近で目撃)。
存在意義否認の明示:
 同様の問題は、殺人という能動的行為に因らなくとも、死別時に泣かない(他者の死に立ち会っても平気)、等の受動的反応によっても伺い知れる。私の職場は葬儀場に近いが、平静な葬儀が多いように思う。悲しい話だ。
依存:
剛●武は ●び太を憎悪しているわけではない。むしろ、彼を必要としている(むしゃくしゃするときにストレス解消で(殴る))。剛●武は ●び太を無視していない。(彼の存在を認めている)剛●武は 自分を再確認するために暴力を用いるが、それは自分の頬をつねるようなものだろう。(決して●び太を殺したりはしない)要するに、剛●武にとって ●び太は 剛●武という世界(即ち彼の社会)の重要な一部であり、自覚の有無に係わらず、偽り無く心の友なのだ。
 ●び太にとっても剛●武は 自分を評価する主体の一人であり、自分を認めてほしいと思っている。それだからこそ、報復こそ望むが、決して殺したい相手(不必要な存在)ではないのだ。
 彼らは不器用なりに依存しあい、立派に社会を形成している。



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