寝ている自分は最強論

穂滝薫理




寝ている自分 VS 起きている自分

 ハッと目が覚める。とっさに時計を見る。がーーーーん! じゅ、10時だ。この時点で会社には遅刻だし、しかも今朝は10時から重要な会議があったというのに! 気を取り直して状況を把握してみると目覚ましが鳴らなかったワケではないようだ。時計は動き続けている(電池が切れたり電源が落とされている様子はない)し、毎朝必ず7時に鳴るようにセットしてある。そう、鳴っている目覚ましを止めてそのまま寝てしまったのだ。“二度寝”してしまったのだ。
 というような経験は誰にでもあることだろう。さすがに社会人となってからは会社に遅刻したことが無い人も、学生時代にはあっただろうし、日曜日などの待ち合わせにはありがちだ。

 二度寝してもちゃんと起きられる場合もある。その場合、症状が軽いと言うことができる。以下、症状の軽い順に示してみる。
1.目覚ましの音で目が覚める。そこで時間を確認して、あと5分くらいなら寝ていても大丈夫だと判断する。そこで5分後に鳴るようにセットして再びふとんにもぐりこみ、至福の時を過ごす。5分後にいやらしい電子音でたたき起こされ、ムカムカしながら目を覚ます。とにかく、会社に間に合う時刻に起きることはできた。
2.5分後にセットして至福の時を過ごす。いやらしい電子音でたたき起こされるが、さらに5分は大丈夫だと判断し、さらに至福の時を過ごす。これを繰り返し取り返しがつかなくなったところで後悔の念とともに青ざめながら目を覚ます。この時点で、症状はすでに進行していると言える。
3.5分後にセットして至福の時を過ごす。いやらしい電子音でたたき起こされ、ムカムカして目覚し時計をぶっとばす。勝ち誇った気分でさらに至福の時を過ごす。次に気がついた時にはもう取り返しはつかない。
4.あと5分は大丈夫だと判断し至福の時を過ごす。5分ではなく、2時間後に後悔の念とともに青ざめながら飛び起きる。はて、目覚ましは5分後にセットし直したんだっけ? こうなるともう、回復の見込みは無い。
5.いきなり、取り返しのつかない時間に目覚める。目覚ましが鳴ったことも、止めたことも記憶にない。最悪。ああ。
 それ相応の罰則がない限り(遅刻すると減棒とか、単位を落とすとか)、症状はだんだん重くなる。つまり、目覚ましが効力を発揮しなくなる方向に向かう。

 記憶もないのに、目覚ましを止めるとは、いつもの自分とは違う、第二の自分がいるとしか考えられない。起きられるかどうかは、文字通り“自分との戦い”であり、その相手こそが、“寝ている自分”だ。
 寝ている私は、起きて立って歩いていかなくては行けない場所に置いてある目覚ましを止めることができる。時々それをまくら元に持ってくることさえある。
 私の会社の同僚は、目覚ましを止めるだけでなく電話線を引っこ抜き、携帯電話の電源を切った。おかげでそいつを訪ねて時間通りに会社にやってきたお客さんに私が謝り名刺を預かり話を聞くハメになった。
 目覚ましを5つ仕掛けている(それでも目覚めない)人を私は知っているし、実際に目覚ましを叩き壊した人も知っている。  当学会員の渡辺ヤスヒロ氏は、ある朝例によって取り返しのつかない時間に目覚めるとスーツを着てネクタイをしていることに気がついた。もちろん、昨晩そんな姿で寝たわけではない。どうやら寝ている彼はスーツを着るという行為で起きている彼を安心させ、その後の行動を阻害するという戦術をとったようだ。
 しかし、渡辺ヤスヒロ氏もそう何度も同じ手に引っかかるほどヤワではない。ちゃんとスーツに着替え、ネクタイもしたところで、さらに気を引き締め、電車に乗り、時間通りに会社に着くことができた。と思ったところで目が覚めたそうだ。もちろん取り返しのつくような時刻ではない。うそのようなマンガのような本当の話だ。
 寝ている自分、恐るべし。特に最強の技、夢攻撃でこられたら我々にはなすすべがない。夢と現実の区別ができる人だけがこれに対抗しうる。もっとも寝ている自分はそれを上回る攻撃をしかけてくるに違いないが。
 このように寝ている自分は、自分を起こそうとするものをあらゆる手段を使って排除する。そのためであれば、起きているときと同じ行動さえするのである。ふとんから起きだし、歩き、耳で聞いて目覚ましの方向を突き止め、目を開いて目覚ましのスイッチを見つけ、手でスイッチを止め、再び歩いてふとんにもぐりこむのである。
 先に挙げたように、症状が重くなるということは、奴が我々を上回る猛烈な勢いで鍛えられていることにほかならない。まるで、ある種のウイルスとワクチンのような関係だ。これを防ぐことは容易ではない。まず、不可能と言っていいだろう。

 寝ている自分には、何人(なんぴと)たりとも打ち勝つことはできないのだ。私が“寝ている自分は最強”と訴える理由である。


応用と実践

 さて、そんなに寝ている自分が強いのならば、なにか役立つことに使えないものだろうか。
 例えば、ボクサーになるというのはどうだろう。もちろん、寝ながらリングに立つのである。寝ている自分は、起こそうとするあらゆるものを排除する。訓練された、重い敵のパンチが当たれば、そりゃ起きてしまうだろう。これぞ目の覚めるようなパンチだ。したがって、寝ている自分は鉄壁のガードもしくはよけを身につけることになる。しかしそれだけではダメだ。激しく体を動かし続けると、それだけで目が覚めてしまう。したがって、試合を早く終わらせなければならない。試合を早く終わらせられる最も簡単な方法は、相手をノックアウトすることだ。そんなことは相手を目覚まし時計だと考えれば寝ている自分にとっては朝飯前だろう。
 こうして、1ラウンドKO勝ちで連勝街道を突き進む、最強のチャンピオン、スリープ渡辺が誕生するのである。

 いくら寝ている自分が最強といっても応用できない分野もある。
 受験勉強だ。勉強は自分を起こすのではなく眠る方向に向かわせるからだ。寝ている自分は、すでに寝ているのに眠るようなこと(勉強)をするなんて無駄なことはしない。仮に計略を用いて、勉強が終わるまで目覚ましが鳴り続ける装置を使ってみてもダメだろう。それは起きているものの浅はかな考えだ。寝ている自分は、まず、その目覚める方向のあるもの(目覚まし)を排除するからだ。目覚めの元を断つ。寝ている自分は徹底した合理主義者でしかも非情なのだ。

 究極の寝ている自分の使い場所は兵隊だ。この場合、寝ている自分を目覚めさせようとするものは敵の攻撃であるから、寝ている自分は音もなく敵の背後に忍び寄り、一斉射撃であれ、機銃掃射であれ、一瞬にして沈黙させるのだ。ここに最強のコマンドーとも言うべき“眠り兵部隊”が誕生したのだ。
 自衛隊はぜひともこの“眠り兵部隊”の採用を検討してもらいたい。
 彼らが守っている限り、我々市民は安心して眠ることができるのだから。



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