シュレディンガーの猫とコタツ

門馬一昭



 『シュレディンガーの猫』というのをご存知だろうか? ノーベル物理学賞を受賞したオーストリアの物理学者 アーウィン・シュレディンガー(1887〜1961)が量子力学とともに生み出した以下のような理論である。


放射性原子の量子状態
y = yA + yB 

猫の状態
Y = Yalive + Ydead

箱を空ける前   「半死半生」
箱を空けた途端 Y = Yalive  または  Y = Ydead

※観測という行為が実在に影響する


 これは完全に1/2の確率で毒ガスを発生させる装置を組み込んだ箱の中に入れられた猫の状態を表しており、猫の生死は観測者が箱を開けた瞬間に確定するというものである。つまり観測者が箱を開けるまでの猫は生死が不確定な存在なのだ。

 ときに、日本家庭における冬の風景のひとつにコタツがある。寒くて抜け出せずにコタツで眠ってしまったことが誰しもあるだろうが、私は子供の頃にコタツで『シュレディンガーの猫』理論が、まさに実証されたであろう現象を体験したのである。

 ―――あれは私がまだ小学校低学年の頃。珍しく大雪が降って学校が休みになったある冬の日のことだった。私は子供らしくなく寒がりだったので、子供らしく雪の舞う外で遊ぶでもなく、ひとり家の中でコタツに入り寝転んで教育テレビを眺めていた。そしていつのまにかウトウトと眠ってしまっていたのだが、ふと目を覚ますと私は丸くなって足の先から頭のてっぺんまですっぽりとコタツに入ってしまっていた。きっと無意識のうちに冷たい隙間風から逃げた結果なのだろう。
 赤く鈍く光るコタツのヒーターをぼんやりと見ていると、頭側のコタツの外からテレビの音が聞こえてくる。私はもう少しこのまま眠りたかったので、とりあえずテレビを消してまた同じようにすっぽりとコタツの中に入って目を閉じた。そうしてしばらくした後、ノドが渇いたのでジュースを飲もうとしてコタツから出ようとした瞬間、その現象は起きた。
 私はコタツから頭を出した瞬間、奇妙な感覚に襲われた。頭を出した先にはドアがあったのである。確かにコタツに入るときはテレビがそこにあったハズだった。ビックリしてコタツから這い出して見まわすと…なんのことはない、私が頭を出したのはテレビのある側の反対側だった。しかし、私には納得すると同時にとてつもない違和感があった。日の暮れかけた窓の外からは眩しいほどの西日が射し込んでいたのだが、私にはその方角が西だとはどうしても思えない。確かあの方角は感覚で憶えている北の方角からすると東であるべきなのだから……
 それからというもの、なぜか私は狂った方向感覚と奇妙な違和感を味わうのが好きになった。何度もコタツの中で眠り、何度もコタツから頭を出すたびに、やはり私の記憶している光景とは違っていた―――

 これこそ、今考えるにまさに『シュレディンガーの猫』であったに違いない。私がコタツにすっぽりと入っている間の外の世界は不確定なものだったのである。そして私がコタツから頭を出すその瞬間に、テレビがそこにあるか、それともドアがあるのかが確定したのだ。

 さて、ここまで読んだ貴方は私の実体験を下らないと思うかもしれない。だが果たして本当にそうなのだろうか? こう考えてみてはどうだろう。貴方の未来は貴方の心が決めるものである。言い換えるならばあらかじめ決められているものではなく不確定なのだ。ならば一瞬さきの世界だって何も決められてはいないのではないだろうか?

 貴方が瞬きして次に目を開けた瞬間、ひょっとしたら違う世界にいるのかも知れないのだ。



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