駄々イスト

藤野竜樹



 昨年暮れ、ソニーの家庭用ゲーム機、プレイステーションのCMに、次のような作品があった。

 子供が玩具屋の前で寝っ転がり、手足をジタバタさせて、“買って買って”と、やんちゃを言っている。
 そこへ通りがかった、如何にも好々爺風の老夫婦がこう言う。
「あなた。いい駄々ねぇ。」
「うん。いい駄々だ。」
「こんないい駄々久しぶりですねぇ。」
「うん。いい駄々だ。」

 一般には、まだ忍耐というものを覚えていない子供が、自分の我が儘を通すために行うとされていた“駄々”も、物質面だけは豊かになり、だいたい何でも欲しい物は与えられるようになった最近の子供からはめっきり見られなくなった行為だ。それを久しぶりに見た老夫婦が、昔自分の息子にやられたであろう行為を懐かしげに見ている。そんな風情を持ったCMだった。
 プレイステーションのCMには、“何を売りたいか”,“誰に買って欲しいか”を明確にした上でなお天才的なセンスを持ったものが多いが、その例に漏れず上記CMも、普通あまり行儀の良い行為とされない“駄々”を“良い”と評価するその逆転の発想をした意外性とインパクトが、他の追随を許さぬ異彩を放っていた。(湯川専務は今!?)
 だが、大多数の人にはただ笑って通り過ぎていったであろうこのCMが、筆者を含む一部の人にとっては、これまでほとんど一般に認められていなかった“駄々”に光を当てたという意味で、電撃的なまでの衝撃を放つ物と感じられたのである。
 上記CMは、それを表層的に見たときに解釈できるような、“在りし日を懐かしがる老夫婦”の一風景を切り取った物ではない。CMの制作者が意図していたかどうかまでうがつことは出来ないが、あれはあくまでも“駄々”をする“行為そのもの”を“良いもの”とみなす見方があるということ、そしてそれを見抜く行為、いわゆる“駄々目利き”にスポットを当てたCMだったのだ。
 駄々目利き、それは駄々師の所行を評価することの出来る特殊な基準を持ち合わせた人物達のこと(シュールレアリストの作品を大枚叩いて購入する物好きに近い。)であり、現在ではめっきり少なくなってしまった人々であるが、ではその評価される対象である“駄々師”とは一体、どんな人物なのであろうか。

 駄々師。それは、駄々という行為を一種の芸にまで高め、それを見せることによって報酬を得る、つまり駄々をこねることを生業とする職人達の事であり、いつともしれぬ昔からその技を伝承されてきたれっきとした芸能の民である。彼らの仕事は多くの人達が集まる街の雑踏の中で行われ、そこに徘徊する人物達の“ある”一人に目を付け、その人の前で“駄々をこねる”。そしてその代償としてその人から金品食料などを貰うことによってその生活の糧を得ている。見も知らぬ人間から物品を取るなどというと、一見したところ単なる“たかり”だとしか聞こえないのだが、正統なる駄々師の仕事は断じて“たかり”とは違う。何故なら、“たかり”によってたかられた者は後に「悔しい」思いを残すものであるが、駄々師に金品を与えた者は後に「仕方ないなぁ。」という気持ちを一様に起こさせるからであり、名人といわれた駄々師にかかるとそれが更に、「甘えん坊なんだからこいつぅ。」とまで言わせるというからだ。

 駄々の捏ね方の妙を人に見せ、人はその駄々に代価を支払う、一種特異な状態がそこにはある。自分の近親以外の者がそうした所作をしているさまを見るとき、我々は普通、軽い嫌悪感とか、甚だしいときには怒りなどを感じてしまうから、そうした行為に金品を与えるなどは、与える者はどこか普通と価値観が違っているのではないかと思われる向きもあろう。確かに上述の“駄々目利き”のように、肯定的に評価する者もいるが、駄々師はそうした人物がいなくとも立派に糧を得ることが出来るわけで、それは彼らの仕事が一般の感覚から逸脱した感じをもたせるわけではないことを示すものだ。そもそもこうした誤解は、彼らの芸を実際に見れば解消する。というのも、彼らの芸を見た者が喚起するのは、「ほほぅ。」よりも寧ろ「いやはや。」に近く、それは“苦笑”と表現される呈のものだからだ。この、彼らの芸を見たときに苦笑するというのが、一般の大道芸人と彼らの違うところであり、また誤解される部分でもあるのだが、そもそも駄々師は、一般人に出来ないことを為すことで“感心”させ、金品を得るといった類の職業ではないのだ。駄々師は、駄々をこねられる筋合いのない人が、駄々をこねられても仕方がないと思ってしまうように心理的誘導を為す駄々をこねる事が出来る。ちょっと分かり難いかもしれないが、普通駄々とは、当人の子供とか孫とかが行うからこそ当人にとって意味がある行為たりうるのだが、駄々師の駄々は当人にそうした気持ちを起こさせる芸なのである。つまり駄々師の駄々は“いかにも当人の近親者(子供)が行っているかのように見せる”ところに真骨頂があるのであり、だからこそその芸は苦笑と共に「仕方ないなぁ。」と受け入れられることが可能なのである。(その辺が根本的な大道芸との違いであるが、敢えてその芸を“一般人にはできないことを為す”として“感心”する人達こそ“駄々目利き”である。確かに大の大人が駄々をこねるのは、一般人にはなかなか出来ることではない。)

 さて、駄々師の技には大きく分けて三つある。一つは“提灯技”と言われるもので、ターゲット(駄々をこねられる人。以下、駄々師達の専門用語から、的人と呼称することにする。彼らは断じて彼らのことを、「カモ」とは呼ばない。)にまとわりついて離れないことからこう呼ばれる。的人よりも頭一つ姿勢を低くし、上目遣いに相手の目を見ながら依頼する。のらりくらりと相手の前を後ろ向きに進む“蛇行型”と、的人の頚に腕をかけて相手の回りをクルクル回る“回転型”がある。この技は相手と一緒に動いてしまうため、特定の店の物品を要求する時には不向きだが、的人に継続的に効力を発揮することが出来るため、駄々師の技の内で最も普通に使われる技である。オリンピック級の駄々師といわれた森末某は、“三回転半ひねり”という荒技をも使ったらしい。的人の頸部に巻き付いて雑踏でグルングルン回るさまはさぞ豪快だったろう。
 二つ目は“引き技”。的人の袖を引っ張って中腰になり、相手の進行を阻もうとする技だ。目的の店から離れてしまうときに使われるのだが、力任せの技なので、駄々師の間では無粋な技としてあまり好まれない。駄々師として独り立ちして間もない者がやる事が多い。ちなみに、彼らの修行中はもちろん、親方に駄々をこねて置いて貰うのである。
 三つ目は“寝技”。目的の店の前で仰向けに寝っ転がる技。まな板の上の魚のように両手両足をバタバタさせる“俎上魚型”と、子宮内の赤子のように足を抱えて左右に倒れる“子宮型”がある。この技の凄いところは、前二つが的人にまとわりついているのに対し、的人から遊離しているところにある。的人から見れば駄々師は基本的に何の関係もない相手に他ならず、その気になればさっさと行ってしまえることを考えると、その状態で的人を留めておける力量は凄いと言わざるを得ない。正に駄々師の技の中で最も難しいと言うことができよう。
 これらいずれもいい年をしたおっさんがその所行をやるわけで、大の大人がみっともないと思わせないだけでも凄いのに、そこから更に上述した“仕方ないなぁ”という気分にさせるなど、確かに駄々師の仕事は“たかり”とはレベルが違うかもしれない。


 駄々師は一体、どういった経緯で職業として成り立ったのだろう。田仁川県一“駄々の系譜”によれば、「“駄々”は祟るから来た」とあるから、駄々師は元々呪術者を祖に持つのではないかとする説もある。これによると駄々は、駄々師から発せられる何らかの魔気が、心に異様に引っかかって、何かしてやらないと祟られるという気を働かせるのだと解釈することが出来る。だが、駄々師が的人に起こさせる気持ちは“恐怖”というより“苦笑”といった性質のものであることは前述したとおりであるから、筆者は一概にこの説には首肯しかねる。寧ろ他の説、“駄々”が、“こねられる”ことから、陶芸家との共通点を指摘する説の方を推したい。事実、俎上魚型を使う者達の中には、背中を丸めて回転する種類の技を使う者もおり、これは轆轤(ろくろ)を表しているのではないかとの起源邪推することが可能だからである。轆轤上に自らの技量をぶっつけて作品を作るのが陶芸家ならば、自ら回転することによって的人に自らを呈示するのが駄々師だとすれば、その由来を同じくする説は割とらしく聞こえるのではなかろうか。


 基本的には一匹狼を信条としている駄々師であるが、年一回、東京ドームで大会が催されている。毎年全国からその道の猛者達が、日常の仕事で培った技量を試そうと集まってくるのである。出場資格を得るのは比較的簡単である。関係者入り口の前でそのテクニックを披露すればよいだけだからだ。(入れてもらえないようなら、そもそも大会に出ても意味がない。)
 試合はトーナメントで行われる。時間無制限、半径五メートルの円形内に入り、一対一で駄々比べをする。当然、先に折れた方が負ける。例年激しい闘いが繰り広げられ、各選手の駄々のこね合いで会場は騒々しいったらない。ある意味その光景は、日本で最も大人げない闘いといえるだろう。
 本年の決勝戦は去年と同じ、日置村出身の根木埜鴨居と、ブラジル出身アンニントーフ猪木だ。駆け寄った瞬間に勝負を決する鴨居にたいし、異種格闘技戦でも見せた寝技を得意とする猪木。基本技そのものが違う二人の勝負は、去年は鴨居の“駄々落とし”に軍配が上がった。あれから一年、連覇を狙う鴨居と、雪辱に燃える猪木の闘いは長期戦に持ち込まれたが、一撃必殺で脇に入って甘え倒す“霞切り”を仕掛けた鴨居に、わざと脇を開けた猪木はその体勢からキーロックを掛けることに成功し、締め技と共に頬ずりに入った。そしてすかさず、「ねぇ、負けて〜。」の猫なで声攻勢。はじめは剃り跡の感触に鳥肌を立てながら必死でもがいていた鴨居であったが、やがてその眉根が寄った。それを審判見逃さず、“苦笑”と受け取られて一本。勝負あった。念願を果たした猪木は当然、観客達と共に吼えたという。

 優勝者から3位までは表彰台だ。2位3位のものは、下から優勝者を見上げて「仕方ないなぁ、お前にはかなわないや。」という顔をするのがお約束。そして彼らには称号が送られる。すなわち駄々A,駄々B,駄々Cで、その地位が自信を呼ぶのか、顔つきまで変わるという。

                              おわり



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