成人式に隠された真の目的とは

門馬一昭




突然だが貴方ほ今現在、この論文を読んでいる時点での年齢はいくつだろうか?
貴方がもうすでに20歳の誕生日を迎え、成人式をすませてしまっていたなら、これから述べる重大な事実に愕然とするだろう。そして貴方がもし、いまだ20歳に満たない年齢ならば、その時点でこの論文に出会えたことは幸福であるといえる。往々にして、何事においても本質を知らないでするよりは知っていた方が良いであろうから。
 これから筆者が身をもって経験した現実とともに、成人式という慣習の真の姿を明らかにしてゆく。尚、閏年の2月29日生まれの方は便宜上年齢が5歳の時点を想定してもらいたい。

 まず一般にいうところの成人式とはなんであろうか。簡潔にいうとこうである。「個人が属するところの社会において心身ともに成熟したと見なされる者が、名実ともに社会の一員に加わることを祝福される儀式」ここでの社会とは、それぞれの個人が属する国や民族はもとより、市区町村にいたる地域社会をも含む。だが、この論文では最も一般的な、そして最も身近であるといえる日本という国における成人式という制度を採り上げもことにする。

 古来、成人の儀式はあらゆる時代、いかなる社会においても、それが人間の集団であるなら必ず行われて来た。と言っても過言ではない。そしてその成人の儀式は社会によって様々である。ある社会ではバンジージャンプで勇気を試し、またある社会では激痛を伴う刺青に耐えることで不屈の精神を示し、またまたある社会では熱く焼けた炭の上を素足で歩いて精霊の加護を願った。
 日本という一つの小さな島国でも時代とともに成人の儀式もその姿を変えていった。しかし、あらゆる時代、いかなる社会での成人の儀式にも、それぞれ特有の一一少なくとも成人式を迎える当人には秘密にされて来た一一隠きれた本当の目的があるのである。では第二次大戦以降の高度経済成長を経た現在の日本ではどうだろう。貴方は現代日本で行われている成人式がどのようなものかご存じだろうか? まだ20歳に満たない、成人式を迎えていない方の為に一応説明すると、大まかに市区町村ごとに20歳の若者を一ヵ所に集め、それぞれの地域社会の代表だのが長々とつまらない挨拶やら訓辞やらをひとしきり喋り終えた後、粗品をもらって式は終了する。そして大抵の者は地元の友達との旧交を温めに夜の街にくりだす。粗品の金額的価値には地域差が多少あるがおおむねこの通りである。貴方は不思議に思うかも知れない。別にこれといった問題はないではないかと。確かにその通りであるように見える。だが、しかし、実際にはそうではない。
 ここで経済的側面から見てみよう。成人式会場へとむかう為の移動手段にかかる費用。そして会場内外での飲食代。さらには成人式後に任意に開催される小宴会やカラオケ大会やボウリング大会……。あるいは貴方はそんなものは些細なものに過ぎないと思うかもしれない。実際、日本全体の経済的規模からすると微々たるものであり、雀の涙ほどもないのだが、ここで重要なのはそれが地域社会の内部に限定されて行われるということである。そして一地域社会ごとに毎年数百人から数千人の新成人が一斉に財布を開くのである。もちろん地域差はあるがそれでも数百万円から数千万円にまでなるのである。そしてそれは地域社会ごとに全国で一斉にばらまかれ、全体では何十億円という莫大な金額が一日で動く。賢明な貴方にはもうお分かりであろう。成人式とはすなわち地域社会における経済振興政策なのである。

 この成人式という経済政策は政府にとって無限の魅力を持っている。第一に地域経済振興には付き物の補助金を全く必要としない。第二に地域社会が潤えば国庫への税収も自然に増える。第三に毎年の新成人の人ロ構成比を分析すれば臨時増収益額を予測しやすく、計画を立てやすい。他にもいくつかの利点をあげられるのだが、ここに挙げた3点だけでも政府にとっては濡れ手で粟。最小限度どころかリスクなど皆無であるといえよう。

 このように、成人式がもたらす経済への波及効果は軽視し得ないものなのだ。それ故に政府は成人式を奨励し、また毎年安定した市民経済の浮揚効果を確保するために、1月15日を『成人の日』という国民の休日に指定したのである。
 ところで、ここで何故1月15日なのかという疑念が生じるのだが、それはおそらく次のような理由に基づいているものと思われる。即ち、1月15日は決算期の一ヵ月半程前で何かと都合が良いのである。
 日本経済は昨今深刻な不況に陥っている。この困難な経済状況を打破する経済政策として、『同窓会の日』ができるのはもはや時間の問題であろう。




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