ペド物理学概論

加藤法之




 今年度、我々世間から外れた者達を騒がせた少女は、ルリ,玲音,さくらといったあたりであろうか。

 ルリは去年の三月まで放送していたアニメのヒロインの復活で、無表情に相手を貶す性格が受けていた(ちなみに、映画ではそうしたシーンはなかった)。当時は周囲のものが大人げない事をするにつけ、彼女が“バカ”という評価を下す、その度に人気が上がっていた。演出意図から考えれば明らかに視聴者を婉曲的に“バカ”にしていたにも拘わらずのこの人気ぶりは、自分がそれでも入れ込んでいる事への一種マゾヒスティックな感情に裏打ちされているように思える。
 これは実は唐突な事ではなく、エヴァンゲリオンのアスカなるヒロインが“あんた馬鹿ぁ”と、主人公を貶していたことを踏まえている。この時彼女のファンになった者達は、“蔑まれる快感”を感じていたのであり、上記のある種変質的な好感の持ち方はこの流れから捉えることが出来る。もっともそうなると、アスカへのご執心の方が俄には受け入れ難い気もするのだが、これは更に遠因として、コナンに出てきたモンスリーの“バカ”辺りを歴史的証拠物件として法廷に出せるだろう。

 さくらはなかよし連載のまんがだったが、四月にアニメになってブレイクした。NHK出版の出す同放送局制作アニメの紹介雑誌など、それまで存在さえ知られていなかったのに、アニメージュと同じ棚に並ぶようになった。このあたり、NHKも狙ってるなと思うが、確かに、少女マンガ系の流れに馴れていなかった人々にとって、彼女はかなりキョーアクだったらしく、今まで比較的まともだった人をも陥れる力を持っていた。このため瞬く間に病魔に冒されていき、突然原作の少女マンガを買いこむなどして家族との関係が悪化していたところ、なかよし8月号のふろくである“さくらトランプ”を鞄の中に持ち歩いていたことが見つかり凄惨な状況になった某知人の例など、涙なしには語れない笑話になっている。(3月頃から近所のお宅の屋根にパラボラを新たに見つけたら、そこには必ず我らの同業者がいると思って間違いない。)
 彼女についても分析は出来るのだが、本心だと思われるのでやめておく。

 レインは夜中にやっているマイナーアニメだ。訳の分からない脚本と演出がいいと長口上を述べているのをよく見かけたが、そういう者に限って“でもやっぱり熊が良い”などと本心では思っているのを筆者は見抜いている。一般的に、我々が饒舌になるのは後ろめたい事実を隠蔽する為であることが多いからだ。
 OVAの青の6号やウルトラジャンプの表紙などで知られる村田蓮爾とともに、安倍吉俊デザインの玲音は、無表情を売りとするキャラの流れを汲んでいる。この流れを決定的にしたのは前出したエヴァのレイであろうが、村田描くキャラが“不機嫌そうな”無表情を魅力としていたり、安倍描く玲音のともすれば精神を病んでいるかどうかギリギリの無表情で魅せるあたり、それを良いと捉える我々受け手の側の根元的に持っている女性像が、どれほど退廃的になっているかを逆に思わせる。

 さて、これらの例から、少女系キャラクターの我々に好まれる傾向として、いくつかの特徴を挙げることが出来る。
 まずは、“性格(Personality)”。無表情にせよ怒りっぽいにせよ、少女キャラはデフォルメされた一元的な性格を持っており、“そこがいい”という馬鹿は常に絶えない。
 “年齢(Age)”も、重要である。現実的な恋愛対象としては、同年輩か少なくとも18歳以上でないと問題があるが、少女系キャラは寧ろ上限を18歳とし、下限が変動するという傾向が見られる。
 そして最後に“適合性(Matching)”。時代性を踏まえているかとでも言い換えられるもので、分かり難いのだが、その時代の持つ雰囲気,その時代が漠然と持っている要求を少女がどれだけ体現しているかが、魅力の源泉となっているということである。先例に挙げた無表情性などはいい例で、それは現時点では“無表情性という特徴”を絵柄もしくは雰囲気として少女が体現しているかどうかが、その少女の人気が出るかどうかの一因になっているという事である。だからあくまで“無表情”は現在における傾向にすぎず、明日からはまた別の要因が“適合性”の判断基準となって、今まで見向きもされなかった少女が脚光を浴びるかもしれないのだ。(ちなみに、では現在に“無表情”が好まれるのはどうしてかと言うと、それら少女達が現実の側にいる女性(男達か?)の鏡になっていると見るのが面白いだろう。)

 この“性格,年齢,適合性”は根元的なもので、“魅力の三要素”と呼ばれる。これらは三者入り交じることで初めてキャラクターに魅力を与える微妙なもの(“あんた馬鹿”を、他の二つと切り離して考えるとよく判る。普通怒る。)である。だからこれらそれぞれを独立したパラメータとして三軸座標を作り、そこに各少女キャラを配する事で体系化できる。これは、MAP(Matching-Age-Personality)式美少女分布図、通称“ロリMAP”と言われ、個人で作成するとその人のイドの奥まで暴き出されるという恐ろしいものである。
 魅力の三要素を満たしたキャラクターの創成は非常に困難を極めるが、創出した者は名声(カルトと呼ばれる)と富(仕事が増える)を得ることができる(どっちもあまり嬉しくないかもしれない)ため、美少女キャラクターの魅力を探る研究は熱心に続けられている。今回は、そうした古来より続けられる少女の理論的探求と、その業績をまとめて紹介していく。

 美少女キャラへの科学的アプローチの草分けは、遠く中世期まで遡ることができる。閉塞した社会はそこに暮らす人の興味を内に向けたが、そこには家にこもる我々オタク系の性癖の萌芽を見ることもできるので、この時代をもってこの研究が黎明を為したのは或いは必然かもしれない。

 まだまだこの当時は実験器具も原始的なものだったため、その成果も、観察化学に主体をおいた分析から多く出ている。
 それまで何ら関係がないとされていた個々の少女達を分析し、そこに残った物を抽出することに成功したのがラブアンジェである。彼はある特定の少女達に決まって“くらっと”来ることから、それらが本質的なものを為すと考え、“眩素”と名付けた。そしてそこでの燃焼反応を“萌える”とし、次のような定義を導いた。
  少女眩素  +  クラクラ  →  萌える  +  2ヶ月分の小遣い
(爆発反応はもっと激しいらしい。)
 彼は生涯独身で研究に没頭する人生を送ったとのことだが、彼の死に顔は幸福そうだったという。

 ラブアンジェに続けとばかりに様々な男達が研究に勤しみ、結果“眩素”が次々に見つかったのだが、そうなれば次には当然それらを体系化しようという考えがでてくるものだ。そうした研究に抜きん出た研究者、しずかちゃんの風呂場を覗くときののび太の表情をすることで有名な、藤子・メンデレ〜・F・不二雄氏の業績を次に紹介しよう。彼は、様々な少女をそれぞれの特徴毎にまとめることによって、“少女眩素周期律表”を作った。これは縦軸が12Kから18Qまでの数字によって年齢を表し(付帯するアルファベットはKLMN...という具合に、数字と共に変化する)、横軸に[種の性格を並べたもので、全部で80人の少女達が系統立てて並べられている。
 因みに[種の性格とは
  ちょー陽気 のうてんき しとやか まじめ 勝ち気 タカビー 不良 冷静
である。左ほど活発であり、右にいくほど馴染み難くなることがわかる。因みに一番右は世間の反応から孤高なまでに安定しており希少な存在だったが、ホシノガリ遺跡の“バカ墓(バッカ)”から大量に出土したため、最近はそうでもない。他の性格については、ここで実例を挙げるより、みなさんの頭の中に浮かぶご尊顔に任せた方が懸命だろう。  この周期律表の凄いところは、その当時見つかっていなかった眩素が、この表の空いたところを探せば見つけられたことだろう。大御所のセーラームーンと同じ様な構成でも、視覚的年齢を過激に下げて個性を出そうとしたアキハバラなどが卑近な例だが、この方法で発見された眩素は、現在ではその数108人に及んでいる。
 一段目である12をK殻と呼ぶのは、これより前の少女眩素が発見されるかもしれないとしたメンデレ〜氏の慧眼から為された行為であるが、実際上記電脳組の様に近年になるほど下限はじりじりと下がっており、10のI殻程度は研究者間では暗黙裏に認知された感がある。凄いのになると「8Gでもオッケー」などと叫び出す者もいるが、すかさず両脇を抱えて追い出すだけ、まだ本学会も理性があると筆者は胸をなで下ろしている。
(余談だが、メンデレ〜・Fが作った最初の周期律表は、レッドカンパニーが門外不出としているという。)

 さて、時代が降ってくると、科学技術の発展に伴って観察機器も飛躍的に高度になっていった。そんな中で特筆すべきはβ線の発明であろう。何故ならこれによって研究者は、テーマソング中にスタッフロールを速記したり、テレコで音声だけ録るといった涙ぐましい苦労をせずに済むようになったからだ。そして実際これ以降の研究は、今までとは比較にならないほど緻密なものになり、寧ろ物理学的な追究成果が増えていくことになるのである。

 物理学的少女系研究の最初の病績...業績は、上記周期律表にも現れていた矛盾である、“何故18以上じゃ駄目なのか”問題に終止符を打った事だろう。
 我々がその年に魅かれる少女達の年齢を横軸に、そこに発せられるエネルギーを縦軸に取ると、ある年齢を中心とした山形状を描くことが知られている(幼体放射理論)が、その曲線を数式で表すことに成功したルーズ・ソックス・プランクは、その数式では18より大きな数字が計算できないことに気付いた。これは18なる数字にある虚軸が大きな壁となって我々の食指を阻むためで、プランクは数式中に発見したこの力を、“絶対運命抑止力”と名付け、実際にそうした力が働くのをアニメイトで証明してみせたのである。  18以上のキャラというだけで落ちる人気。ミニスカートが似合わなくなるからと言うだけではとても説明の付かないこの謎に対して我々はそれまで単純に、「だって、なぁ。」など顔を見合わせるだけだったのが、この抑止力が顕在化したことによって初めてはっきり「あぁ、そうだったのか。」と納得できたのである。
 18の壁は、かくも高い。

 また、これと時を同じくして、アニメイトでの客が商品にしか目がいっていないために客同士よくぶつかる様を数式化した“ブラコン運動論”で有名になったアニメシュタインは、いままで波と思われていた少女が実は粒子だったといういわゆる幼量子仮説を発表している。この他にも彼の天才ぶりは留まるところを知らず、我々平均年齢を上げるアニメファン達の、自分の歳を棚に上げての幼者傾倒思考ぶりを“特殊相対性理論”としてまとめているし、陳腐な個人主義教育が世間全体を実は幼稚化しているのだとする“一般相対性理論”に至っては、20世紀最大の発見だとされている。
 さらに、少女からでるオーラ波を法則化した波動方程式を導いたエスキ・シュレディンガーや、相対性理論に同式を見合うようにしたフェチ・ディラックなどが革新的な研究を次々に発表したのである。
 こうして、少女を究極まで細分化して研究する分野、“幼子力学”は発展していったのである。

 さて、メンデレ〜の周期律表は、少女達が眩素で出来ていることを体系化したが、それはまた眩素をそのように規律している更なる根元的な物質、眩子の存在を予言するものであった。そして幼子力学が確立した現在では、加速器などの大がかりな観察装置によって、眩子とその内部の克明な姿を垣間見ることに成功しており、少女物理研究は既にそうした少女物理理論を検証するまでに至っている。よってここからは、そうして解明してきた知識をまとめて紹介していくことにしよう。(加速器には間違っても男性が乗ってはいけない。直径2.5キロのトーラス(ドーナツの形)状の建造物の内部に貼り巡らされた少女達のセル画の羅列は、彼女のいない人が乗ると文字通り一気に“加速”してしまうからだ。(この研究施設は、ヨーロッパのCERN(セルン)が有名。))

 眩子は、“眩子核”と、その周囲を回る“澱子”によって構成される。
 澱子はその存在それ自体が、我々男性の無意識の行動の根幹を為すものである。つまり、眩子核はプラスの眩荷を持つのに対して澱子はマイナスの眩荷を持つため、両者間にかかる眩気力のせいで澱子が引きつけられ、眩子核を中心としたある決まった半径の場所に落ち着いて存在している。この力があるからこそ我々男性は少女に惹かれるのであり、よって男性が、眩子核にそれ以上近づくことに道徳的後ろめたさを感じるかどうかを基準として澱子軌道半径が求められる(道徳限界半径またはニールス・ボーカン半径)。半径は飛び飛びの値を取るが、これは澱子が波、すなわち定在波でもあることから説明される(発見者の名を取って、“ド・ップリの澱子波”と呼ばれる)。
 また澱子は、ある軌道には決まった数しか入れない。これは主として現在の民放のチャンネル数に起因しており、軌道が30分の間隔を置いていることが多いのもこのためである。このように、澱子がある時間にあるチャンネルしか入れない状態を、“排他律”と呼ぶ。欲張って二画面テレビなんかにすると良いシーンを見逃して泣きを見るのであり、素直にβ線を照射して後で軌跡を観察する余裕が研究者には必要なのである。
 澱子は男性系物性を持つため、書いててあまり楽しくない。よってこの位にする。

 眩子の内側にあって、澱子に囲まれた眩子核を構成するものこそ、“中性子”と、“幼子”である。
 この眩子核こそが、少女の魅力のうち大きなものである、“性的に中性でしかも幼い”ことの根源となっている。眩子核中の幼子,中性子の数によって、先の周期律表の性格項が決定され、我々の好みと合致するバラエティのある少女達が生み出されていたのである。(幼子は長じて妖子となるが、これが18という年齢なのではではないかとする説がある。ミニスカートよりチャイナドレスが似合っちゃうのはそういう理由による。)  中性子と幼子は、強い力によって結合されており、その力は中間子によって媒介される。その際中性子と幼子が入れ替わってしまうことがある。それは少女そのものの存在の曖昧性の根拠になっている。
 これに関連したものが、“少女の不確定 性 原理”である。これは、ある少女を見るとき、女性と見るか子供と見るかは、観察者の側によるというものである。どちらに見えるかは観察者が決定する、つまり観察者が見るまで、当の少女は自身でそれを決定できないという不思議なものである。ミクロの世界で起きるこの現象をマクロに適用したらどうなるかというシュミディンガーの思考実験は有名である。(これはシュミディンガーの猫と呼ばれ、街頭に貼ったネコ耳少女のポスターの前を通った人間が、ただ通り過ぎるか、「いぃ仕事してるねぇ。」と言うかでその少女の本質が決定されるとするなら、その決定を少女に知られないようにしたらその少女は子供でもあり大人でもある“少女A”になるのかと言う思考実験である。性成熟とは本人の成長で決まるはずだが、それが他人の視線で決められて良いのかという辺りに、この思考実験で指摘する微妙な面白さがある。(男だったら単に、「そりゃ白木みのるだよ。」と言えるのだが...。))

 眩子核の内部が中性子と幼子から出来ていることが判ったが、更に中性子と幼子の構造も調べられている。
 両者の中にはクォークと呼ばれる粒子があり、中性子はダウンクォーク2個にアップクォーク1個、幼子はアップクォーク2個にダウンクォーク1個がその構成要素である。アップクォークは眩荷+2/3、ダウンクォークは眩荷-1/3を持つから、足し算すると中性子の眩荷が0、幼子の眩荷が+1になることが判る。このほかに、クォークは三色からなる色香...いや色荷を持つが、実を言えばこれが前の項で述べた“性格,年齢,適合性”なのであり、上述したロリMAPの重要性はここに起因している。三要素をバランス良く併せ持つ少女から、我々がゑも言われぬ色香...色荷を感じたとしても、それは無理もないことと納得してもらわなければならない。

 眩子核内にはクォークはアップとダウンしか存在しないが、少女界におけるクォークは現在までに、
 アップ ダウン トップ ボトム チャーム ストレンジ
の6種類あることが知られている。クォークはこれまでのところ科学的には単体抽出されていないのだが、魔法力で可能ならしめていることは、魔法少女達の存在が示すとおりである。彼女らによればこれら単体抽出されたクォークの能力は以下のようなものであると考えられる。
 アップ ダウン :成長または逆成長効果を持つ。成長は多くの魔法少女の基本能力であることから、ステッキの中に抽出装置が取り付けられている可能性が高い。また、メルモちゃんの不思議キャンデーは正に精錬抽出技術の粋であると言えるだろう。
 トップ ボトム :性格の浮沈を司る。これによっていわゆる“キレ三石型”から“美佐緒型”まで自由自在だ。この実例としては、ピクシーミサの変身が有名だろうか。
 チャーム ストレンジ :セーラームーンやプリティサミーなどの変身は俗に“何故気付かない?”型と言われるが、この二つが変身時に寄与することで、他人には別人のように見えているのだと思われる。(「ええっ! あなたがタキシード仮面だったなんて!!」などという言葉にはそれなりの根拠があったのであり、自分が恋している相手が“変態コスプレ野郎”である筈がないという健気な思いこみからだけでは無かったことがわかる。)また、魔法少女には成長後の姿が似ても似つかぬものになる場合もあるが、これらがそうした機能も司っているものと思われる。代表例はミンキーモモやペルシャであろう。
 こうした魔法力によって単体化された粒子は必ずスピンを持っているが、その多くが中途半端なな回転数を持つことが分かっている。これによって魔法少女におけるほとんどの変身シーンは“あともう少しなのに”というところで終わってしまうのである。割り切れなさが残るのは無理もないのである。
(魔法力研究は斯様に画期的な成果を生んでいるのも事実だが、問題も顕在化している。魔法力を使ってのエネルギーの増幅は、澱子と同じ働きをするのに飼い慣らされて猫なで声になってしまった“ニャーオン”、更に下僕に成り下がった“ワォーン”といった新たな粒子を生み出すことにもなっているのだ。男性形粒子に起こった非常に無粋なこれらの効果により、トレカやポスターなど急激に増えた少女メディアのあからさまな企業戦略にはまって財産を失うという無知な研究者が増えているのは痛ましいことである。一研究者として言っておくが、そもそも少女に金を出してはいけないのだ。犯罪になってしまうから。)

 さて、ここまでに出てきた発見は、それまでの物理では考えられない様な現象なのであり、我々が単純に知っている力学では捉えきれない性質のものである。実際、幼子力学においては、少女の魅力の根元的物理力には四つの力があるとしている。これまでそれは数式化しやすいように、少女とそれに魅かれる対象との間に、力を媒介する“場”を考えてきた(メディアと言い換えても良い)が、現代では対称性の観念から媒介を“仮想粒子”が行うと考えるようになっている。ここではそうした、少女力学の根元である“四つの力”と、その力を媒介する“仮想粒子”の関係を見てみよう。(中性子、幼子など、現実に存在する粒子を“フェミニオン”と呼び、“仮想粒子”を“ボゾン(坊主、いやボーズ粒子ともいう)”と呼ぶ。)
 まず、分かりやすい方から見てみよう。我々が少女もしくは女性を広く見るとき、そこに生ずる食指をもよおす力を一般に“蛮勇引力”と言う。街中を歩いているとついつい女性の方を向いてしまう、あれである。たとえ同性だったとしてもロングにしてると一応確認のためそっちを向いてしまうことがあるという意味で、この行為は性別を分けるものではない。だから、蛮勇引力には反発力がない。これを媒介する粒子は実はまだ発見されているわけではないのだが、名前だけは付いている。すなわち“クラリトン”である。
 次に、狭義の少女個人に対する向心力が、先ほども出てきた“眩気力”である。眩気力は同じマイナスの眩荷を持つ澱子同士は仲が悪く、プラスの眩荷に魅かれる。つまり、反発力もあることが、蛮勇引力との違いである。媒介粒子は好子(フォトン)である。好子には重さが無くハート型をしているためその到達距離は無限大であり、横長のコマの端から端まで届く“キックオフ効果”を覚えている人も多いだろう。
 澱子及びクォークとしか反応しない変わり者が“ニューハーフ”である。澱子が男性要素である為か、その反応を媒介する仮想粒子には“ショタコン”と名付けられている。この力は社会的認知度が低い上にまだまだ絶対数が少ないので、検出はビックサイトにらしき人物達が集まる時くらいしかできない。(世相を左右する力は理論値と大きくずれているため、そこには我々の検知し得ないダークマターがあると言われているのだが、近年、実はこのニューハーフやショタコンがそれではないかとする説が出ている。もしそうだったら世の中えらいことである。)
 さて最後に、中性子と幼子を結びつける力、またその内部の三つクォーク同士を結ぶ力がある。これを“強い力(核力)”といい、更にこの力を媒介するのが“ロリオン”である。ロリオンに媒介された力によって色荷が変化し、中性子と幼子は目まぐるしくその幼体を変える様が、そこには見いだされる。
 それはまさしく、少女そのもの。
 もうおわかりだろう。いかにもな名前を冠していることからも察せられるとおり、今回の文のテーマ、少女の魅力の最も重要な部分を為すのがこのロリオンが媒介する力なのである。
 幼子力学はここに、ひとまず少女の究極に近づいたことになる。

 少女の魅力の根元を探る研究は、個人の研究室でできる単純な実験化学にはじまり、国家プロジェクトが必要なほどの観察施設と気が遠くなるような小難しい理論物理を用いた“幼子力学”にまで発展し、中性子と幼子、そして両者を結びつけるロリオンの物理を明らかにするところまで進歩してきた。(ロリオンが色荷を媒介するところから、この分野を専門に、“幼子色力学”と呼ぶようになってきている。)
 しかしそれでも、我々の煩悩は止まることを知らない。だからここに至って尚、我々の脳裏に次の疑問が常に湧出するのを我々自身今でも消し去れないでいる。
 すなわち、「これ以上先はあるのか。」
 ロリMAPのところでも述べたが、我々の感じる魅力とは性格一つ、年齢一つで決められるような単純なものではない。だからこれ以上の追究は無意味かもしれない。そしてそもそも、これ以上の追究はもう倫理的に探る事を許されない領域(本屋で言うとアニメ誌の隣にある雑誌類が売りにしている領域)なのかもしれない。
 だが、それでもこの研究は続けられるだろう。世に少女がいる限り、そのブラックホールに落ちて行く者は絶えないのであり、永遠に達し得ない深淵を垣間見たいという切実な思いは、消しようがないのだから。
 だからこれから先、新たなる研究者によって少女研究は新たなる領域、“新たなる次元”に入っていくことは間違いないだろうと筆者は信ずるのである。

 でもその新次元、やっぱり二次元だったりするのだが。



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