加速薬と減速薬

机上理論学会内バーチャル時間調査部
渡辺ヤスヒロ
ひあろ



 退屈な授業と短すぎるテスト時間。遠距離通勤や通学の時間と限られた就業時間。公衆電話の長い待ち時間とすぐに切れるテレカ。デートの待ち合わせ時間は長く、逢っている時間は短い。世の中の時間の流れはたとえ同じ時間でも長く感じたいときは短く、短く感じたいときは長く感じるようになっている。自分の感じている時間の進み方をもし変えることができるならば人生はもっと有効に生かせるのではないだろうか。我々はついにその薬を開発する論理的メドがついたのでその原理をここに惜しみなく公表するものである。
 電機機械はモーターの回転数、自動車はエンジン、コンピュータでさえ現在は水晶発振子の発振周波数、と世の中の動くものにはそれぞれ時間に対する基本単位とも言える部分の働きによって全体が制御され制限を受けている。基本的なモーターの回転数が早いほど安定した多くのパワーを取り出すことができるが激しい動きの制御は難しく消耗も激しい。
 我々の様な動物の時間に対する基本的な単位は心拍数であろうと言われている。ネズミの様な小さな動物は小さい心臓が人よりかなり早く、ゾウの様な大きな動物の心臓はゆっくりと動く。従ってネズミはゾウと較べはるかに早く反応し、考え、対応することができる。両者は時間に対する感覚も違っていて、同じ1時間であってもより多くの動作ができるネズミと動きの鈍いゾウでは別の長さに感じていると考えられている。極端なこの例の場合には、ネズミから見たゾウはまるで動かないもののように感じ、ゾウから見たネズミは早すぎてほとんど認識できていないということなのである。ゾウもネズミも動いていることに変わりはないと思う人もいるかも知れないので別の例を挙げれば、植物は成長していても人の目には動いている様には見えないことや、1/60秒単位に画面を書き直しているテレビが点滅して見えないことと同じである。この言わば体感相対時間速度は、動物の場合には鼓動の速さ(心拍数)が重要な要素であると言われているのである。
 また、一生の内に心臓が打つ鼓動の数はどの動物でも一定であると言う研究報告もなされている。それによると、ある動物が一生に打つ心臓の鼓動の数は、その(種としての)体重に応じて計算式で表わされる程密接な関係がある。
 一般に鼓動の早い小動物は寿命が短く、ゆっくりした鼓動の大きな動物は寿命が長い。そして時間の流れに対し鼓動の早い動物は早く物を考え、素早く行動し、鼓動の遅い動物はゆっくり物を感じゆっくり反応することは前述の通りである。従って寿命の短い動物は長い動物に比べて密度こそ違うが一生に感じている全時間は同じ程度であると言える。ネズミの短い寿命は決してはかないものでは無く、ゾウ亀の長い一生もうらやむほど充実してはいないらしいのである。

 こういったことは当然のことながら我々人間にも適応できる。体重の重い人が長生きで軽い人が早死にするということではなく、鼓動の速さとそれによって感じる時間の流れる速さとの関係である。例えば子供の頃に一年を長く感じ、大人になると一年が早く過ぎるように感じるのことも子供の心拍数が大人のそれに比べて早いためなのであるからと説明できる。
 更にこの考えを押し進めれば、同じ一人の人間でも通常より鼓動の早い時と遅い時で時間に対する感じ方が違うと言えることになる。

 眠っている時や眠りに近い状態では心拍数は平常時より少ない。そうした時の時間の感じ方は「いつの間にか過ぎてしまった」と思うように早く感じるし、感覚も反応も鈍くなっている。反対に適度な運動の後などは(疲れていなければ)素早く動き回れるし、反応も機敏である。短い時間に多くの運動ができたりするということは時間の流れを通常より遅く感じているために、同じ時間でも長く感じていると言えるのである。
 待ち時間にイライラしているような時は大抵心拍数も多くなっていて、時間の流れを遅く感じている。イライラすればするほど心拍数も上がり更に時間の流れを遅く感じてしまうのである。
 今回のテーマである加速薬・減速薬は、これらのことを薬を使って人為的に行なおうというものである。

・加速薬
心拍数を多くする事によって新陳代謝を活発にし、その人の回りの時間の進みを平常時より遅いと感じさせる薬。使用中は早く仕事をこなすことが出来るが、体にその分負担がかかると考えられる。
一生に打つ鼓動の数が決まっているのならばその分寿命を縮めていることになる。

・減速薬
心拍数を少なくする事によって新陳代謝を緩やかにし、その人の回りの時間の進みを平常時より早いと感じさせる薬。早く時間が過ぎて欲しいときに使用できる。
加速薬とは逆に寿命を延ばすと考えられる。

つまり他人より早く仕事を済まそうと思って加速薬を使えば時間制御の基本原則に則って早死にすることになる。いや、実際には体に相当な無理を強いることになるために更に寿命を縮めることになりかねないのである。 減速薬にはなんと延命効果もあるのである。人類が長年望んできた不老不死薬とはいかないものの、故意に寿命を延ばすことが出来るということの素晴らしさは誰にでも容易に理解が出来ることだろう。
しかし惜しむらくは寿命を減速薬によって延ばすことが出来たとしても、その延びた時間は愚鈍に過ごさねばならないことなのである。

 心拍数による体感時間速度の変更には危険が伴うため当然のことながらある程度の上限下限が決まってしまう上に個人差も大きいと考えられる。
 しかしもしも体が異常に丈夫であり急激で強力な薬の効果に耐えられるのならば音速を超えて走り回れる様になれるのかも知れない。その場合には人間の体では持たないのでサイボーグ化しなければならないだろう。そして加速薬をカプセルに入れて奥歯に仕込み、必要に応じて砕くようにすれば加速装置の完成である(注1)。また、心拍数をとことん遅くして例えば一年に1回しか鼓動を打たないようにすれば何千年も若さを保ち続けることが可能であろう。ほとんど動けないために常に(滝の前で)じっとしていなければならないが鍛えられた戦士ならばやってのけることだろう。(注2)

 加速薬にしろ減速薬にしろ良いことばかりでなく、欠点が伴うものであることは確かである。しかし世の中の大抵の物には利点と欠点が共存していて、その欠点を考慮した上でも効果を期待することになっている。たとえ寿命が縮もうが少々体に悪かろうが長い目で見れば「今ここでどうしても加速薬を使わねば」と言う時は来るものなのである。人生に大きなチャンスは三度あると言う。そのチャンスを実らせるためには多少の犠牲は必要であり、加速薬や減速薬がその役に立つこともきっとあるはずである。すぐにでも必要になるかも知れないこれらの薬をどこか製薬会社で早急に開発すべきである。
 しかし、どんなに加速薬を使って試験の残り時間を増やしても分からないものはやっぱり分からないのではないだろうか。そんな気がする。


参考
 『ゾウの時間ネズミの時間』 本川達雄著 中央公論社
注1)
 『サイボーグ009』石ノ森章太郎作
 ・主人公である島村丈はサイボーグであり、奥歯の加速装置のスイッチを入れると音速を越えて動き回ることが可能。
注2)
 『聖衣☆星矢』車田正美作 集英社コミックス
 ・いつも滝の前に座っていた老師は大昔のセイントの一人であり、歳を取らないように年に一回しか心臓を動かさないでいた。



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