チェス起死回生の一手

加藤邦道



 チェスのことを日本では「西洋将棋」と言うし、将棋のことを英語では「ジャパニーズ・チェス」と呼ぶ。これは言うまでもなくチェスと将棋が同じ祖先から派生した似たようなゲームだからである。そのようなわけで今までにもこの両者は比較されることがあったが、しかしそのどれもが比較してみての結論を出していない。そこで本稿ではこの両者の比較に基づいた結論を提出し、更に今後の展望についても触れることとする。

 まず論点を明らかにするために、将棋とチェスの類似点および相違点を挙げてみることにする。類似点は、
・2人が向き合って、相手の王様を詰めることを目的とするゲームである。
・初期配置も決まっていて、相手の取り得る手が完全に分かっている。
・偶然の要素がなく、プレイヤーの強さがそのまま勝敗を左右する。
などで、逆に相違点は、
・チェスは欧米を中心として世界的に普及しているが、将棋は殆ど日本国内だけである。
・将棋では殆どの駒が敵陣に入ることによってより強い駒に昇格できる。
・将棋では取った駒が使えるので、終盤になると可能な手数が飛躍的に増える。
・チェスでは駒が減っていくので、詰められなくなって引き分けることが多い。
・敵味方の区別は、将棋は文字と方向で、チェスは形と色でつける。
などである。
 これらを踏まえて、よく言われることは「将棋の方が勝負がはっきりして面白い」ということである。実際将棋のタイトル戦では7番勝負が4勝0敗で決まったりするが、チェスの世界選手権では24番勝負が4勝3敗17引き分けといったスコアで決まることが多い。17引き分けというのは当のプレイヤーにとっては相当のストレスであろうし、観客にとっては退屈でしかないのではないか。ちなみに将棋では4勝3敗3引き分けという例もあるにはあるが、それは例外中の例外である。
 2人用のゲームが、主に勝敗を決めることを目的としていることを考慮すれば、将棋の方が優れていると言っても過言ではない。

 最近では、人間の代わりに将棋を指すソフトウェアやチェスをするコンピュータが登場してきている。人工知能研究とあいまって、一昔前より格段に強く、また応答速度も速いプログラムが開発されている。その成果は、将棋では初段程度の実力になったと言われているが、実際には初段の人が何度か対戦すればコンピュータ側の思考ルーチンが分かるようになって、いずれ人間側の圧勝に終わるということである。
 一方のチェスでは成果が目覚ましく、コンピュータは既に世界チャンピオンと同程度のレベルにまでなってしまった。そしてついにチェスの必勝法(本当の意味での)の探索が始まったという噂である。
 これらのことから我々は2つの事実を導き出すことができる。1つは将棋の方が難しくて奥が深いということ、もう1つは人間がこれ以上チェスにエネルギーを注ぐのは全く無駄だということである。

 それにも拘らず欧米では頑なにチェスが行なわれ、将棋が見向きもされないのはどうしたわけであろうか? ここへきてようやく我々はある重大な結論に達する。それは、かなり思いがけないことであるが、欧米人はバカなのである。でなければ、明らかに劣っていると分かっているチェスをいつまでもやり続けるはずがない。
 更にこの事実を裏付ける証拠として、チェスには文字が使われていないということが挙げられる。文字が読めなくてもチェスはできる、いや、文字も読めないような奴らがチェスをやっているのだ。だから彼らは、将棋を覚えようにも文字が読めないがゆえに覚えることができず、未だにチェスを続けるしかないのである。

 ところが欧米人の中にも将棋の優秀さに気付いて危機感を持った人達がいた。しかし彼らも将棋を学ぼうとはせず、チェス側に立って起死回生の妙手を放った。すなわち「チェスをオリンピック種目にする(!!)」という手で、キャッチフレーズは「チェスは頭のスポーツだ」である。
 憂鬱なことに、オリンピック種目になれば日本は強化チームを組んでこれに挑むことになるだろう。これでまた一歩、将棋の普及は遅れてしまう。勿論日本代表チームは、将棋で培ってきた様々な戦法を駆使してオリンピックでも優秀な成績を修めてくれるはずである。それはそれで大変に喜ばしいことであるが、そうなると今度はまた別のことが危惧されるようになる。日本が国際舞台であまり勝ちすぎると、かつてバレーボールやフィギュア・スケートや背泳ぎなどでことごとくルールが改悪されてきたように、チェスもまたルールが厳しくなるのではないだろうか? つまり「美濃囲い禁止」や「森下システム禁止」果ては「光速の寄せ禁止」などである。憂鬱なことだ。



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