超高齢化社会の諸問題 II

上野 均



 まず、超高齢化社会という言葉に、簡単な定義を与えておこう。少数の事故死、自死、殺人、若年病死者を除く、ほとんどの人間が、生物的限界寿命を生きる社会、これが超高齢化社会である。数字的には100 歳を目安とすることが出来るだろう。
 こうした社会での家族体制を考えるのが、本稿の目的である。五世代以上が同時生存する状況のなかでの婚姻に、焦点を絞って論じてみたい。
 私は長らく奇形家族に関心を注いできた。つまり、離婚家族、ゲイの夫婦、養子などである。それらを奇形家族と敢えて呼ぶことによって、父・母・子からなるエディプス家族モデルを逆照射できるのではないかという立場からである。そのひとつとして、近親姦の問題を考えてみよう。
 法的には近親姦は犯罪ではない。いかなる恋愛をも取り締まる法律はないし、性交も出産も可能である。しかし、結婚は許されていない。すなわち法的には近親姦の問題は、近親婚の問題でしかないのだ。近親姦の文学的悲劇にだまされてはいけない。合意ある二者(他者)間では近親といえども、戸籍を入れる以外のエロス的ないかなる行為も可能なのだ。もちろん法律上は、である。
 では、法的に禁止されている近親の範囲とは、何か。中学の公民や、高校の現代社会で学んだことを思い出してほしい。「禁止されているのは、三親等以内の親族」そう習ったはずだ。「そうだったわねー、いとこはいいんだったわ」とうなずいてもらいたい。すなわち、父母・娘息子(一親等)、兄弟姉妹・祖父母・孫(二親等)、叔父叔母・曾祖父曾祖母・曾孫・甥姪(三親等)だ。ひとつ確認しておきたいのは、この基準に別段論理的必然性はないことである。相続関係が複雑になるということが挙げられようが、本質的な理由とはいいがたい。その都度、細則を設ければクリアできない問題点ではないはずだ。近親婚の禁止の本質はやはり社会的なタブーにあるだろう。そのタブーも普遍的絶対的なものではない。たとえば中国では宗族という広範囲な親族集団があり、その内部での婚姻は不可能だし、かならずいとこと結婚しなくてはならないという婚姻規則を持った民族もある。ここでは文化人類学的な様々な婚姻形態には深入りしないが、とにかくその基準が相対的なものであることだけは示し得たと思う。
 ここでの論点がそろそろ見えてきたのではないだろうか。そう、つまり、四親等たる曾曾祖父曾々祖母と曾々孫との結婚の可能性である。ちょっと年齢的なシュミレーションをしてみよう。便宜上、男性の結婚年齢を30歳、女性の方を25歳と置いてみる。五世代の配分は男男女男女とすると、娘25歳、父55歳、祖母80歳、曾祖父110 歳、曾々祖父140 歳、となる。140 歳。いくら超高齢化社会といえども、これは扱いにくい数字だ。それでは女系家族かつ早婚、たとえば20歳平均で結婚していったとしたら。娘20歳、母40歳、祖母60歳、曾祖母80歳、曾々祖父110 歳。可能性が出てきた。先にも確認したが、恋愛、性交、出産、結婚はそれぞれ独立した事象である。したがって前三項とは関係なく結婚が成立できることを考えると、こうした婚姻の起こる可能性は否定できない。いや今までに起こっていても不思議はなかったのだ。120 歳を越えて生きた泉重千代翁がたまたま「年上の女性が好き(故人談)」だったから実現はしなかったけれども。
 つまり、こう結論できる。近親婚を防ぐという現行の日本国民法の規定に不備がある。念のため、民法第734 条[近親婚の制限]を当たってみたのは、私の理論家としての誠実さである。
 「直系血族又は三親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない」そういうことだった。民法の草案者は、私の想像を越えてクレイジーな完璧主義者だったのである。
[了]

<参考文献>

 クロード・レヴィ=ストロース	「トーテムとタブー」	みすず書房
 小室 直樹		「資本主義中国の挑戦」   	光文社
 甲斐 義弘編		「実用六法全書1989年版」	金園社
 泉 重千代		「巨人泉重千代・栄光の軌跡」	跡書店



論文リストへ